妖刀伝・外伝を7月1日より新規連載します  室町末期から徳川初期に到る時空列を縦糸、武将と小姓の個の愛と誠が横糸の叙事詩、序上中下巻よりなり、因縁話の基層である序章はポルノ、バイオレンス的描写を含む


by annra
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SS1の物語 : 予告


長らくの間予告のみで実現しませんでした、新しい”時”をかける物語、


        “過去に学び、未来に資する・・・・”

                 SS1の物語

 を2009年1月1日(もちろん、旧暦~第一期文明の暦のことです)より、下記ブログ上に連載開始いたします。

これは宇宙歴2031年1月より始まるスペースオペラで、物語としては妖刀伝の続編とは申し難いものです・・・が、時を駆けるもの~時をつなぐものたちの物語である点では、全くの続編でもあります。
現在の予定では76回に分けてアップするつもりでおりますが、本編アップに先駆けて”まえがき””目次””年表”の三点を、明日より年末にかけて下記のブログに順次アップいたしますので、どうぞご覧ください。

   
     http://sdyukikaz.exblog.jp/
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# by annra | 2008-12-28 17:22

謹告

かねてより予告のみで、果たして実現するやら怪しまれていた続編、
~~続編と言っていいのかは問題~~のSF

  SS1の物語
 
を、2009年1月(新暦=宇宙歴ではなく、第一文明期の暦、旧暦の表示であることにご注意)より連載出来るように努めております事をご報告いたします。
前書目次等が完成しましたら、事前に逐次アップしたいと思っております。

なお頁は改めまして、この頁ではなく、新規に
 http://sdyukikaz.exblog.jp/ 
 
として発足いたします。


続編と称しましたが、時代小説とは全く異ジャンルのSFですので、或いはご期待に添わないか、とも思います。
但し”時”を超えるものの物語であることは変わりなく、登場人物は主人公リョウ・マをはじめ、ほぼ全てが妖刀伝からの”因縁”?をしょっております。
これは作者の完全な独りよがりなのですが、この頁の読者に楽しんでいただける要素になれば幸いか、と思うところでもあるのです。
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# by annra | 2008-12-01 11:31

賀正:2008

年頭ご挨拶

皆様明けましておめでとうございます。


こういった形でご挨拶申し上げるのは三度目になります。

良くもまあ、白々しくも・・・とお思いのお方もおいででございましょう。

その前に何方もお読みではない・・・可能性もあります。


此の一年、アクセス数は順調に?低下いたしまして、一日一桁の日もあるようになりました。
ところが先日、”信長の棺”の新版が放送されました日、突然21件のアクセスがあり、以降またその水準で推移しています。
放送をご覧になって妖刀伝を思いだし、改めて開かれた方が複数おいでなのだな、と思いました。
此のご挨拶はそのことに励まされて致しているわけですが、
かねてから申し上げている続編についてのご報告も出来るかと存じます。


昨年年頭ご挨拶に来年春「本日より連載を開始いたします」 と、書きたいもの、と申しましたが、これは反故になりました。
では全くの嘘ッパチか、と言いますとそうではありません。
現況から言って、早ければ此の年末に完了、遅くとも来年初頭より開始、のスケジュールを公言できるかと存じます。

ただし内容的なものとしては、申しておりましたものと変わったとも、変わっていない、とも言えるものになりました。

05/05/01付の”本日の掲示板”にあります
SS1 の予告的書き出しは、殆どそのままで始まります。
その頃構想していたものよりお話に尾ひれが付き、またもや大大長編になってきています。
”時”がテーマであることは変わりなく、過去から流れる未来叙事詩であるわけですが、妖刀伝が根っこの根っこに座っていて、愛読なさって下さった方なら、そこら中で繋がっていることを興がっていただけるかも知れません。
但しこれは時代小説ではなく、完全なSFです。
そして妖刀伝のもっとも大きな柱である部分、些か成人向け部分(実はこの辺が+にも-にもなって活字化が見送られています)は、無い、と言っていいでしょう。
但し、主人公雪風艦長リョウ・マの正体は・・・、そのものなのですが、以下は読んでのお楽しみ。

以前書きました構想では安土桃山の次に明治維新、
その為の布石が妖刀伝、及び外伝にはちりばめられていて、それをご期待いただいている向きには申し訳ありませんが、此の時空は飛躍して未来に行ってしまいました。
明治維新編はありませんが、その中で構想された部分はいろいろな形で反映しています。

一寸お話を飛ばして、妖刀伝愛読者がお読みになって、「ははぁ~ん」と、連想していただけない主要人物が一人居ますので、此処で説明?しておきます。
つまり妖刀伝の片隅で触れてはいますが、その名が明記されていない人物です。
ハヤト。 
リョウ・マの父でルナ支所長、フルネームはハヤト、ナゴヤ。
妖刀伝では山三郎とお国の子、森忠政が育て高山南坊の推挙で加賀藩士となった山三郎二世のことにチラッと触れていますが、彼の前田家での名が名古屋隼人です。
(母がお国と言うのは小説的虚構ですが、ほかは概ね史実です)

と、言ったお遊びはいっぱいありますが、中味は大長編スペースオペラ、
ただし、今、日本、と言うもの抜きには成立しない物語です。

多分副題になる言葉を書いておきましょう。

”過去に学び、未来に資する”

地球及び人類史研究所のモットーです。
所長、梁山泊の真の頭目の名は、ワイクラ・ビューモーン
SS1世界の第一統括者、NO1の名は、ききょう  
この辺りで止めておきましょう。
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# by annra | 2008-01-01 00:00 | !!本日の掲示板!! 。

年頭ご挨拶

皆様明けましておめでとう御座います。


・・・年頭のご挨拶故、同じく紋切り型なのはお許し頂くとして、
文字通り一年間のご無沙汰で御座いました。

小生も一応人生50年はとうに過ぎております故、何時音信不通になってもおかしくはないのですが、一応生きてこの世に生息していたことの証に、このアップをしているようなものでございます。

などといいながら、万一続編のことをお気に懸けて居られる方でも御座いましたらと、近況報告を申し述べましょう。

正直なところ此の一年全く進化しておりません。

ただ昨今の世相を見るに着け、何となく気が蠢くところがありまして、新年を期して・・・・ひょっとするとひょっとする雰囲気があります。
なろう事なら一年後のご挨拶に、
「本日より連載を開始いたします」と、表記したいものよ、と思っております。
ただ構想だけは膨らんでおりますので、一年間で発進可能な形まで纏まるかが、問題の分かれるところに御座います。

因みに現在なお一日二桁のアクセスを頂いております。
ありがとうございます。
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# by annra | 2007-01-01 01:01 | !!本日の掲示板!! 。

年頭ご挨拶

皆様あけましておめでとうございます。

「〜何だ、今頃、今日は三日だぞッ」

と、お叱りを被るのは覚悟のご挨拶でございます。

実は長い間此の頁をほったらかしにしていましたから、年頭のご挨拶だけアップするつもりで居て、かまけてなにもせずに年末を仕舞いました。
ところが、さっきアクセス記録を見て、愕然といたしました。

昨日は41件。

実は、何もせずに居る間に“順調に?”下がって一桁に迫っておりましたのが、連載中に近い値にはね戻った、と云う感じです。
正月だから、なんか書いていないか、と、期待されている方の数と受け止めております。

その後の経過報告ですが、正直申し上げて全く進んではおりません。
一つには活字化の話があって、結局ポシャりましたが、それに気を取られたことがあります。
しかしながら作者のずぼらが大半の原因でしょう。
ただし放棄乃至あきらめたのとは違いますので、ある日突然火が着いて走り出すのではないか、と、(まるで人ごとのように)期待しております。

お正月のお伽噺を一つ。

実は昨年終わり頃、阿弥陀寺に詣でる機会がありました。
山三郎たちの本丸の跡はここか、と、創作した人間が勝手に感慨に耽ったりした後、きちんとお参りをしましたが、墓域の状態は正直言ってうそ寒いものでした。
時は容赦なく事実を風化させる・・
と云うのが感想です。
ところがなぜか次の日、大徳寺高桐院に参る機会がありました。
高桐院は常時開放された寺院ですが、実は私は始めてでした。
「妖刀伝の作者が、何だって、!」と、驚きお怒りになる読者もおいでかと思います。
ここは細川家の菩提寺で、創建したのは細川忠興、開山の玉甫上人は父藤高の弟、つまりおじさんです。
千利休と秀吉にまつわる灯籠があり、銘は無双。
忠興遺愛の此れが彼とガラシャ明智玉夫人の墓標です。
横の玉垣の中には幽斎藤高を中心に細川家歴代の墓標。
妖刀伝で主役を張ってって頂いて、お世話になった方々ばかり、それを今頃・・と云うことですが、未だ先があります。
ここには名古屋山三郎と出雲阿国の墓もあるのです。
ただ、これは一般檀家の墓地にあるので、残念ながらお参りは許されません。
なんでここに彼が?
と云う疑問には、お寺の方が答えてくださいました。
名古屋山三郎は玉甫上人に参禅していたからです、お国さんの方が後からついて来たのです。
と云うことでしたが、その後他の所で見た記事では、玉甫上人は相当情念のこもった山三郎を讃える賛、偈?のようなものを残されています。
いずれにしても、我らが名越山三郎の供養墓は此処にあり、私はそれに曵かれて此処へ参ったのでした。

と、云うことで、妖刀伝の両主役がそろい踏みとなりました。

お話は此れからです。
昨日初詣(では無いのですが、正月の神様もうで)で、此れまた偶々紫野の今宮神社に参りました。
元日と違って北山時雨の降る中でしたが、実は其の後建勲神社に参るつもりで居りました。
船岡山の建勲神社はご存知の通り、贈正一位太政大臣織田信長を祀る神社で、今宮神社からまっすぐ南へ行った所です。
そしてそこの拝殿に掲げられた織田の功臣たちの画像、当然その中に我らが乱丸の姿もあるものを、見てみたいと云うのがお参り以上に目的でした。

地の利に詳しい方はともかく、私はそれまで気がつきませんでした。
今宮神社の表参道は建勲神社の北参道につながります。
そして大徳寺は此の二つのお宮の間です。
参道の脇に高桐院の裏側の土塀が沿っていました。
乱丸君の絵姿に会いに、信長公のもとへ参上、と南に足を向けた時、それ迄の時雨がやみました。
道を半ば迄行った頃、うす日が差してきました。
その時わたしは気がつきました。
今通っている此の左の土塀は高桐院のものであることを。
そしてこの間の経験からそこに彼、名越山三郎が居ることを。

其のとき雲が切れて太陽が輝き始めました。
私は山三郎が私の行為を肯定してくれている、と感じました。
土塀の端で行って、横から墓地が覗けました。
中程に宝篋印塔の列が見えます。
山三郎は織田一族の墓列の端に、織田九右衛門として居ると聞きましたから、
きっとそこでしょう。
日はますます燦々と輝きだして、濡れた路面が嘘のようでした。

そして船岡山の登りにかかります。
日は陰らずに輝いてくれています。
私は乱丸も歓迎してくれているのかな、と感じました。
社殿に着いて拝殿を見ます。
回りの欄間には、多くの功臣たちの姿が描かれた額が掛かっておりました。
ただ相当に退色し、かつ距離があってもう一つよくわかりません。
カメラに望遠レンズをくっつけて覗きます。
幾人か候補が絞れました。
其のとき頭のてっぺんに水滴が、
拝殿の軒先に残った雨滴が落ちて来たのでした。
考えたら神前のお参りする前に此の作業をやっていたのです。
乱丸君、はじめは好意を示していてくれたのに、「この無礼者!」と、怒ったのでしょう。
でも、お参りをすませ、森長定(蘭丸、森可成第二子)とある、本能寺での絵姿を確認した後も太陽は輝いたまま。
私は妖刀伝主役の御両所は作者の扱い方を許容してくれていることに確信を持ちました。
ご神紋の木瓜もそうおっしゃっていたように思います。

以上、 真冬の昼の夢でした。
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# by annra | 2006-01-03 12:48
        タイトル  妖刀伝・外伝

     巻之壱     34頁      原稿用紙 94枚
     巻之弐     13頁       々   36枚
     巻之参     35頁       々   94枚  
     巻之四     43頁       々   121枚 

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梗概

これは妖刀伝(序章、上中下巻)の文字通り外伝で、補遺的な様相を持つ物語です。
各巻それぞれに絡み合いながら、独立した話題が径時変化に従って流れますが、前提としての”吉の因縁”及び登場主要人物のキャラクターについて、妖刀伝本編を下敷きにして居ります。
それゆえ全く始めてお読みの方は、妖刀伝本編序章から御読み頂く方がよいのかもしれません.
但し、外伝各巻ともそれぞれに面白くは仕上がったように思いますので、あまりこだわらないでお読み下さっても構わないかと存じます。
どうぞ御気楽にエンジョイなさってください。
なお、続編として明治維新を想定して、その伏線が仕掛けてはありますが、作者としましては、明治維新は口切りの序章に扱って、一大スペースオペラに次作を発展させる構想を抱いて居ります。
実現は何時の事やらわかりませんが、そう言う事でこんなふうになっているのか、と思われであろう部分が、後の方にはございます。

巻之壱:織田信澄
ちょうど本編の出だしと同じ時空に織田信長の父信秀が登場して始まり、信長の弟信行の忘れ形見、織田信澄の一代記の形として進みます。
本編には無い幾つかの話題や登場人物によって同じ時空間を動いて行き、最後は本能寺の変に絡んだ結末で終わります。

巻之弐:豊臣の世
前の巻の後、豊臣の世から関ヶ原が終わるところ迄、本編とは別の視点からお話が進み、織田信澄の忘れ形見、津田昌澄〜織田信重の時代に入ります.
そして天海大僧正が主役の一人になってきます。

巻之参:血・繋ぐ
関ヶ原の戦いの後、浅香荘次郎の遺骨を納めに高野山へ向かった名越山三郎の行動は、本稿では阿弥陀寺に帰る迄を一行で済ませています。
実はその間にこのような物語が、挟まれて居たのです。
佐助、宗好上人、真田信繁等が絡み、更に服部半蔵も絡んで、大きく意外な方向へと展開して行く物語です。
彼らの企み、努力の結果、織田信長の血は土佐國才谷郷の坂本家へと伝わったのです。

巻之四:元和堰武
本編では殆ど全く触れていない、大坂冬の陣、夏の陣、及びその結果としての元和堰武〜徳川の平和〜へ向かう時空を扱います.
名越山三郎はすでに“時を越える”存在であり、吉祥寺九郎右衛門として登場します。そして、
次の、更にその次の文明に向かって流れる時空の働きについて、もう一人の”時を越えるもの”、更により大きな存在である、天海大僧正と、”理外の理”を追求してある高みに到った望月白雲斎=才蔵との問答で、此の外伝は終わります。



目次

妖刀伝・外伝巻之壱 織田信澄

 一ノ一  京の都
 一ノ二  尾張の田舎
 一ノ三  ウツケの婿殿
 一ノ四  津田坊丸
 一ノ五  奉行職
 一ノ六  蛇石
 一ノ七  寿塔
 一ノ八  大馬揃え
 一ノ九  四国陣
 一ノ十  千貫櫓

 
妖刀伝・外伝巻之弐 豊臣の世 

 二ノ一  初参内
 二ノ二  風雲
 二ノ三  南光坊天海大僧正
 二ノ四  戦後処理


妖刀伝・外伝巻之参 血・繋ぐ

 三ノ一  落城
 三ノ二  宗好上人
 三ノ三  新弟子
 三ノ四  葛城小藤次
 三ノ五  敗走
 三ノ六  九度山の配所
 三ノ七  血
 三ノ八  掛け布団
 三ノ九  塩袋
 三ノ十  廃砦
 三ノ十一 重力の障壁
 三ノ十二 高知城


妖刀伝・外伝巻之四 元和堰武

 四ノ一  将軍宣下
 四ノ二  京の大仏殿
 四ノ三  二条城
 四ノ四  鐘銘事件
 四ノ五  冬の陣
 四ノ六  真田丸
 四ノ七  大陰謀
 四ノ八  たれ込み
 四ノ九  炎上
 四ノ十  変転
 四ノ十一 家康死す
 四ノ十二 元和堰武
 四ノ十三 インテルメッツオ

今回は“閑話休題”は無く、1日1タイトル宛、分割連載致します。
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# by annra | 2005-08-12 17:30 | 【外伝の梗概・目次】


  妖刀伝・外伝巻之壱 織田信澄

一ノ一 京の都

「これが、都か」 
ぽつり、と、その武士が言った。
「話に聞くよりも、もっと酷いものにございますな」
従者が答える。
「・・」
主の武士は暗い表情のまま、黙ってうなずく。
此の場に立っては全くの処、その反応以外の何ものも期待出来そうに無い。

大路小路が縦横に組合わさって連なっては居る。
だがその街を構成する筈の家々は、すべて焼け落ちて灰になって居た。
尾張の田舎から出てきてようやく京に辿り着いて、逢坂の関の跡をこえて東山を越え、名残の桜の花吹雪が散り敷く中を、三条の粟田口あたり迄降りてきたところで、出くわしたのが、この光景だった。

彼ら主従が歩いている道は、真っすぐに繋がってはいるものの、その境目は曖昧だった。
左右も、見渡せる限りの彼方迄も、焼け崩れた家の残骸が累々と折り重なって、道の端迄はみ出している。
歩いている者もまばらで、
「これが花の都の姿か・・」 
と、その武士はふたたび嘆息した。

押し黙った主従はそのまま焼け跡の中を歩を進め、小半刻も行ったかと思う辺りで、ようやく前方に何軒かの家が見えてきた。
更に進むと、それは次第に数を増してくる。
「あれが西の陣の辺りではございませぬか」
「そのようじゃ」
新建ちの家が立ち並ぶ辻迄来ると、あちこちから機織りの音が聞こえて来る。
「輪違屋は何処かな」
「探して参りまする」

人に尋ねると、その店はすぐに判った。
大きな辻の角店だった。
前には綺麗な小川が流れている。
これは輪違屋草兵衛と言って、京でも老舗の呉服の店である。
門口に立って訪なうと、中年の恰幅のいい主人が飛び出してきた。
「遠路、ようこそ、おこしやす」
「信秀じゃ、造作になるぞ」
答えたこの武士は、名を織田弾正忠信秀と言う、
尾張半国の実質支配者で、近頃少しは名の知れ始めた戦国武将であった。

奥の座敷に上がってくつろいだ信秀に、茶が出された。
もう尾張でも珍しくはないが、未だ何処ででも出るものではない。
綺麗な娘がはこんでくる。
楚々とした様子が如何にも都ぶりで、着ているものは商売柄あか抜けしていて美しい。
客の前に出るので着飾ったのか、と思うが、そうでもなさそうだ。
鶸色の地に萌葱と紅藤色の雲がかかって、御所車の輪が見え隠れするその小袖は、普通よりはすこし袖が長く、かつ絹織物ではなかった。
それは木綿と言って、近頃一般化した布地、綿花の栽培で此の店と尾張は繋がっている。
「娘御かな」
「下の娘にございます」
「美しいのう」
茶を喫しながら信秀は言う。
「熱田神宮の件では、いかい世話になった」
「トンでもございまへん、私どもこそ」
「儲かったかな」
ニヤッと笑う。
尾張下四郡は熱田神宮に市と港を抱え、商取引が盛んだった。
その経済力が信秀の軍事力の源泉だったが、輪違屋も都の呉服商として、そのおこぼれに預かって居るのである。
信秀が上京したのは、訴訟の為だった。
と言うより訴訟まがいのことに勝った御礼であった。
幕府の権威がきちんとしていた頃なら、もともと守護代の家老である信秀が、都まで来ることは無い。
下克上で諸制度が乱れた今、地方で横領した諸権利権威を追認させる為にこの手を使う。
港の支配権を公認させる為に昔荘園領主だった近衛家の権威を利用したのだが、これとて近衛の当主様は与り知らぬところで、信秀と先方の家令との合作だった。
そしてこれを柳営に持ち込んで書類にする。
もちろんこれも将軍家に会う訳ではない。
出てきた男は御側用人格で、朽木なにがしと言ったが、要は持ってきた金銀との引き換えに公方の黒印状を作ってくれるのである。
未だ四方は敵ばかりの彼だから、そう長居は出来ない。
だが出てきた以上、短い間に出来るだけ遊山をしたい。
そんなことでも地元の実力者であり、取引先である輪違屋を利用していた。

さりながら、このところの戦乱で、由緒の神社仏閣も焼けたり破損したりして、見るべきものは随分と減っていた。
それでも尾張の田舎者には、目を見張るものばかりだった。
輪違屋は将軍家御用達だから、金閣、銀閣ともに御庭先から拝見出来たし、相国寺の塔の高さには肝をつぶした。
その日は上下の賀茂社に参る予定だったが、
「朝のうちにちょっとお祀りをしたいことがございますので」
と言うのに、ついていく。
相国寺の北側に深い大きな森があった。
巨大な木々が生い茂るその杜は、人の手が入るのを拒む神の聖域である。
「相変わらずの焼け跡ですわ、」
草兵衛が言う通り、大きな神社の燃え落ちた跡がある。
「応仁の乱の時はここが最初の合戦場でして、お社の方はこの間の戦で丸焼け」
「何と申すお社なのか」
「上の御霊はん、お祀りしてあるのは、崇道天皇はんの御霊でございます」
何人かの人が待っていた。
神官風のも居るし、武家商人、工人も居る。
暫く待っていると、だんだん人が集まってきて、大きな固まりになった。
「これはようこそのお参り」
草兵衛は如才なく挨拶する。
中の一人、お伴の武士を連れた少年は、相応の身分のようだった。
「細川はんの御曹司、お父上のご代参ですわ」
と、草兵衛は囁いた。
焼け跡の中央に、ま新しいお社が置いてある。
人が抱えて持てるくらいの小さなものだが、
「余り恐れ多いんで、こんなんですが、仮に私がお祀りさせてもらいますのや」

そしてそんな毎日の中でちょっとした事件が起こる。
輪違屋には娘が居た。
上は結婚していたが、下は未だだった。
着いた日に茶を運んだ子だった。
信秀は手を出した。
それらしく口説く等と言う芸が、この男に出来る訳は無い。
美女と野獣だったが、娘は素直に従った。
脂ぎった初老の男にはもったいない話だが、主人は見て見ぬ振りをしている。
もしお胤を頂いたら、それは尾張に居る大勢のお子達の兄弟姉妹になる。
女子を政略に使うのは、武家ばかりではなかった。
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# by annra | 2005-08-11 10:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ二  尾張の田舎

馬が駈けっていた。
汗を飛ばして駆ける様はまさに悍馬、と言ってよかったが、またがっている男は輪をかけた悍馬だった。
裾の切れた小袖の着流し、袖をまくって襷がけ、その襷は女物の帯のようだったが、自身の腰の帯は荒縄だ。
尾張下四郡を支配する織田信秀の跡取り、信長である。
すっ飛ばして行く先の街道に一つの行列が見えてきた。
荒馬に気がついた護衛の兵が、槍先を揃えてこちらを向いた。
「まてーっ、その行列待てエーっ」
かまわず突っ込んでくる信長の剣幕に恐れをなした兵達がひるむ。
「どうっ。ド、どうー、 竹千代ッ、出てこいっ」
護送の駕篭のなかから小柄な少年が顔を出した。
「こいつ、此の俺に黙って行くのかあ」

少年は今川義元の配下、三河の松平氏の御曹司、人質として今川へ出向く旅の途中、信長の父信秀が奪ってきたもので、信長は敵味方の感情抜きに、八つ歳下の弟としてかわいがってきた。
其れが今、今川へ差し戻される。
理由は人質交換。
信長の異母兄信広は三河の安祥城に居たが、今川に敗れて捕虜となる。
其れの交換に今川方へ戻されて行く。

竹千代は駕篭を降りた、小さな膝をついた。
彼はいま八歳である。
「お別れでございます」
戦国の世、一時は慣れ染めても、こう言った時は往々にして一期の別れとなる。
「今度会えるのは、いくさ場でかもしれんな」
「はい」
「成ろうことならば、同じ旗の本に集いたいものよ」
其れだけ言って、信長は馬首を巡らせた、
「さらばッ」
悍馬は駆け去った。

織田信秀は子沢山だった。
此の時勢に子が多いことは力だった。
男はそのまま武力に、女子は他家へ嫁いで連携の絆となった。
そして己の力と才覚だけを頼りにのし上がって行く戦国武将が、自身の肉欲を抑圧するようなことは凡そ無い。

ただ欲望を基盤とした交情にも愛は生まれるが、此の時代、純粋の愛はむしろ男色にあった。
無限の可能性を秘めた未来を持つ美しい少年がその対象だった。
其れは生殖活動とは無縁な、まして人の世の諸々のしがらみとは無縁な、一個の人間同士としてかわした愛情だった。
彼の武田信玄が、小姓の春日源助に宛てた起請文が残っている。
一豪農のせがれに過ぎない源助に対して一国の主武田信玄が、諏訪明神から弓矢八幡大菩薩まで神々を総動員して誓っているのは、浮気をしたと言うのは誤解だ、今後も決してしないから機嫌を直して出てきてくれ、と言うことにつきている。
そしてその源助の後の名は高坂弾正、不敗の名将と謳われて、前に布陣したのが弾正と知った敵は戦わずして引くのが常であった、と迄謳われた武田の柱石に成人する。

ところで織田の跡取りである信長は三男だった。
次男だと言う説もある。
あちこちで種を撒いて歩いた親父に取って、厳密に其れが何番目かは判定に困ることもあっただろう。
兎に角、正妻の土田御前を母とする一番上が吉法師、信長だった。
長子相続は制度としては未だ無い。
ただ早く生まれた子は先に成人し、先ず親の助け、力になってくれる。
それだけのことであった。
一番上は信広だが、負けて捕まって竹千代と交換に命拾いをしている。
不肖の子でもそうして貰えたのは親の愛情か、はたまた松平竹千代の値打ちがそのくらいだったのかは判らない。
そして跡取りと定めた信長を那古屋の城に入れて元服させたが、此の日頃の行状は先きの如くである、
其の点同腹の直ぐ下の弟勘十郎は対照的な性格で素行も良く頭も悪くない、人の話に耳を傾け判断にもうなずけるものがある。
言ってみれば非の打ち所の無い少年で、従って重臣の林、柴田、佐久間等は勿論のこと、母親を含めて世間の期待はこちらに集まっている。
信秀の子育ては放任主義だった、
と言うよりも、子育てなんぞにかまっている暇はなかった。
尾張下四郡の実力者で、港と市を抱えて財政的基盤も豊かだったが、元はと言えば尾張の守護斯波氏の守護代織田大和守のまた家来と言う立場である。
運と実力でのし上がって、今やほぼ尾張を代表する勢力となっているが、凡そ家庭などと言うものには縁の薄い毎日だった。
ただ、此の抜け目ない男が、世間の評判最低の”おおうつけ者”吉法師に家督を任せたのには、何かがあったのだろう。
うつけの青春時代に到る前の齢のころに、親として何か他日に期するものを見届けていたのかもしれないし、此の時代に消滅せず更に大きくなるのには、常識的な秀才では間に合わないと言うことを、しっかり体得していたせいかもしれない。。
とにあれ、その惣領を最大限に利用する画策として、信秀の打った手は隣国美濃との婚姻だった。
美濃の蝮、斎藤道三はこれこそ下克上の成り上がりの典型、油売りから身を興し、守護代の家来として頭角を現して、飾りものの守護の名の下に主君を倒し、次に守護を追って、今や名実共に美濃一国の主である。
そして東の駿河、三河、遠江を押さえる今川義元と言えば、これは本来の守護大名が戦国大名に変身した、これこそ名実共に備わる強国であった。
その斎藤道三の愛娘帰蝶、親とよく似た此の才媛を、織田の跡継ぎの嫁にと請うたのは、勿論そう言う情勢をふまえての、攻守同盟の申し入れである。
双方の思惑は一致して帰蝶は那古屋に輿入れし、めでたく婚礼は上げられたが、そのあと突然の不幸が織田家を襲った。
当主信秀が急死した。
そして此の葬儀の際に喪主である信長が、遅参したばかりか、例の異相で現れて髪を振り乱しつつ位牌を睨みつけ、抹香を叩き付けて去ったことはあまりにも有名である。
対して勘十郎信行は身なりを整え作法に叶った振る舞いを見せ、恐らくは勘十郎本人を含めた多くの者が信長を見限ったことだろう。
父がつけた守役の老臣平手政秀の諫死によって、信長の行状が改まった、ともいわれるが、これは定かではない。
ただ、姑の斎藤道三は此の変事に際しても態度を変えず、むしろ信長の後ろ盾である、と言う姿勢を示して尾張の諸勢力を牽制する。
彼にしてみれば手強い相手の信秀が去って、”大ウツケ”の婿が当主の座についたとは願っても無いこと、尾張を料理して飲み込むには、先ず此の新領主を手の内に置くことから始めようとしたのだろう。
彼は婿の顔を見たい、と言って尾張に申し入れ、国境の正徳寺で会うことを提案する。
その当日の朝、道三は姿を変え、道筋のとある民家に潜んで信長を待った。
有名な大ウツケの生の姿を此の目で確かめる為である。
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# by annra | 2005-08-11 09:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ三 ウツケの婿殿

やがて彼方に砂塵が舞って、軍勢が進んでくる様が見える。
道三は障子の穴から覗いて見た。
最初は弓隊だった。ゾロゾロとやってくる。
次は槍、人数は多いがこれもだらしない。
ただ持っている槍は変わっていた。
赤柄の其れは恐ろしく長かった、三間柄と称される長槍で揃えている。
本陣が近づいた、彼は目を見はった、鉄砲だった。
近頃上方の方から入り始めた、南蛮渡りのあの新兵器を担いでいる。

そして馬上の大将の姿を確認した彼は息をのんだ。
始めて見る婿殿の姿は話の域を超えていた。
尻端折りした着流しで、素晴らしい馬に斜め乗りをして居るその若者は、顔立ちは端麗そのものながら髪は赤茶けてぼうぼうに伸び、まるでそぐわない見事な太刀を左手に握って肩に担いでいる。 腰の荒縄に結わえた瓢箪をとって何か飲んでいる。
見送ったさすがの道三もため息をついた。
娘の婿は優れた男がいい、隣国の主は馬鹿がいい。
どちらの尺度から言っても外れている。

裏道をとって寺に戻り、正規の会見の時を待つ。
本堂に先に入って上座に座り、婿殿を迎えた。
斉藤家の臣が案内に立って導いてくる。
織田家の刀持ち小姓が従ってくる。
道三は目で探した。
肝心の主役が居ない、何処だ。
一瞬の後、道三は再び仰天して息をのむことになる。
上背のある、白析の青年が目の前に居る。
髪を整え、烏帽子狩衣の正装に身を正し、前に座って恭しく礼儀する。
「始めて御意を得ます。 義父上、織田弾正忠信長にございまする」

婿姑の会見が終わり、宴を共にして信長は去った。
道三の前をいく隊列は、これも今朝見たものとは別物だった。
三間柄の長槍は整列して天空に煌めいていた。
そして鉄砲は一丁二丁ではない。
其れは集合して、鉄砲隊と言ってもいいものとなって、行進していた。

この時を境に大ウツケの信長は居なくなった。
だが尾張の国内は静かではなかった。
信秀は下四郡の出身だから同じ織田を名乗っても、上四郡の織田とは必ずしもよい関係ではない。
そのうえ信秀の兄弟、即ち叔父も大勢居るし、自分自身の兄弟も多い。
そしてそれらが皆一城を預けられて居て親疎、利害が錯綜する。
最大の問題は血を分けた弟、末森城の勘十郎信行だった。
彼は馬鹿でも野心家でもない、品行方正な秀才だったから、もし泰平の世に生まれれば、名君として名を残しただろう。
だがその分常識人で、兄のような時代を超越した天才ではなかった。
そして彼自身が見抜けなかった兄の天分を、多くの家臣も見落としていた。
大ウツケの印象は尾を引いて、母親迄がそう思い込み、弟側に立っている。
信秀から信行に付けられた家老の柴田勝家や佐久間信盛は当然として、信長付きの林秀貞等迄が信行に肩入れをする。
均衡が保たれていたのは、姑の斎藤道三の存在があったからである。
その道三が死んだ。
息子の義龍に攻められて殺されたのである。
義龍の生母は美濃の守護土岐頼芸の側室で、家臣の西村勘九郎に与えられて妻となった。
勘九郎は美濃の実権を握っていた守護代長井氏を謀殺し、長井家を横領して長井新九郎と称し、次にもう一人の守護代斉藤家の名跡を継いで斉藤を名乗り、更には土岐頼芸を襲って、尾張に追放して美濃の国主となった。
即ちこれが斎藤道三である。
一方嫡男の義龍は成人するに従い自分の出生に疑問を持ち、色々と調べて行くうちに実の父は土岐頼芸だ、と思い込むようになる。
周りには西村勘九郎、長井新九郎の被害者はいっぱい居たのだから、何を吹き込まれたか判ったものではない。
かくして長男の謀反にあった道三は、最期を遂げる。
彼の生涯は、彼らしくきちんと完結したともいえる。
信長は変事を聞いてすぐに出兵し、国境に到ったが、既にことが決していた。

此のことは尾張の内部に波紋をもたらした。
ある意味では世論に押されて信行が反旗を翻した。
彼はこのとき達成と名を変え、当主の名乗りである弾正忠を僭称していた。
達成と言うのも、本来の尾張下四郡守護代である織田達勝の諱を受けて、正当性を主張しようとするものであったのだろう。
そして林秀貞、弟の美作、柴田勝家等とともに、稲生の野で信長軍と対戦する。
数では達成軍が勝っていたと言うが、信長自らの奮戦もあって一敗地に塗れ、母と柴田勝家とともに清洲城の信長の本へ赴いて降伏する。
信長は此の降伏を入れて許したが、此の戦の信長勢の中に森可成の名が見え、また信長の指揮と戦いぶりに目が覚めた柴田勝家は、これ以来忠実な家臣となっている。
そしてこれで終わればすべてよいのだが、歳が明けた弘治三年、今度は上四郡の守護代織田信安にそそのかされて、信行はまた謀反を企てた。
こんども柴田勝家等の宿老を頼ったのだが、前とは状況が違っていた。
勝家の通報により其れを知った信長は大いに迷ったが、結局重病と偽って清洲へ誘い出し、河尻秀隆に命じて誅殺する、と言う悲劇にいたる。
本来最も信頼すべき直ぐ下の、しかも唯一母を同じくする弟を手にかけざるを得なかった信長の苦衷は察するに余りあり、更に二度も謀反を企てたとはいえ、周囲の多くの人望を集めていた此の俊秀を失ったことは、織田家にとってどれだけの損失であったかは、計り知れないことだった。
そしてそのことは、此のあと二代三代に渡って起こる悲劇、およびその当事者である信行の子孫達に対する世間の評価の高さによって証明されることになる。

信行始末の後、信長は勝家を呼んで命じた。
勝家は既に深く信長に心服している。
「信行の子を探し出せ、付け家老であったそちの手に預ける故手厚く養育せよ。 そして然るべき年齢に達したれば余の手元に置いて訓育する」

「そうして、何者にも引けを取らぬ武将に育ててみせるのだ」

十年あまり経った。
信長の身辺は一変していた。
あれから三年後に起こった、東の隣国今川義元の上洛戦がすべてを別けた。
 京へ上って天下に号令する。
戦国武将の夢を叶えるに十分な力を蓄えて、義元は行動を起こした。
隣に居る織田などは問題ではない。
鎧袖一触、と言う言葉通りにして尾張は通過する。
すべての人間がそう思っていた。
信長自身はどうだったのか。
彼にとって、思うとか思わないの問題ではない。
自分自身の生存の問題である。
生きるか死ぬか、尾張の織田として残れるかどうか、の問題だった。
彼は賭けた。 そして勝った。
其れは単なる一勝ではなかった。
尾張の織田は天下の織田、少なくとも東海の織田になり、今川の支配が崩壊した三河では松平元康が本領を回復した。
あの時の竹千代である。
そして隣国美濃を併呑して岐阜城に移り、流浪する前将軍の弟を次期将軍家として迎えた時、彼自身が京の都へ、天下取りへと進発したのだった。

だが、京へ入れば、同時に其れは同じ志を持つ戦国の雄すべてを敵に回すことになる。
信長はさっそくに全国の大名に宛てて回状を発した。
新将軍足利義昭の名を以てしてである。
いわく、京へ伺候して新しき秩序に従うべし、と。
勿論受け取った諸候の全員が無視した。
幕命不服従の罪を鳴らして、手近の朝倉から攻撃することになる。
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# by annra | 2005-08-11 08:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)
 
一ノ四 津田坊丸

元亀元年の春、信長は京を発して西近江路を北上した。
今や信長の唯一無二の同盟国である、嘗ての松平竹千代、今は三河の国主、徳川家康の軍が同行している。
高島郡迄至って野営した。
陣中、篝火がはじけるなか、本営の諸将一同で夕食をとり、小宴となる。
馬廻りの堀久太郎が信長の杯を満たし、諸将を廻る。
「可隆にも注いでやれ」
「はい」
「そちと可隆は同年であろう」
森可隆、信長の重臣、森可成の嫡男である。
可成の後ろに控えていたのが、引っ張り出された。
「初陣の杯じゃ、たっぷりと注いでやれ」
こう言ったとき信長は機嫌良く酒を飲むが、量は僅か、一応部下につきあっているだけだ。
酒に関してだけは、彼は人に遅れをとるのである。
そのなかへ、取り次ぎがあった。
「柴田勝家様、おいででございます」
「待っておったぞ、これへ」
萬見仙千代が導いてきた勝家は、一人の少年を伴っていた。
緋縅の晴れやかな当世具足姿、金色の宛て金をした鉢巻きに、はらりと漆黒の前髪がまとわりついて、案内の仙千代にも劣らぬ美少年だった。
「よう参った、これも初陣じゃ」
「どなたでござるか」と、可成。
「津田の坊丸よ」 。
「はぁ、」  津田と言うのは織田一族の傍系が名乗る姓である。 
「そうか、そちにもお坊と申す子が居ったな」 と、信長は言った。
「これはナ、わしの子じゃ」
「え、えっ」
勝家が割って入った。
「御舎弟信行様おん忘れ形見、某しが元で、かく成人なされてございます」
「みな明日の織田家の柱石じゃ、はげめよ」 信長の声は弾んでいた。
「勝家、礼を申すぞ、これで稲生は帳消しになった」

次の日、進発した織田軍はそのまま北上して越前に向かわず、左に曲がって山のなかへ入って行った。
軍兵は不審がったが、指揮官達は知っていた。
「このたびの出陣、浅井様には申し上げずでござる」
勝家は言った。
坊丸はそのまま勝家と行動を共にしていた。
「なに故にでしょう」
「浅井長政様はお市の方様の婿、あなた様にとっては義理の叔父上でござるが、浅井家は昔より朝倉家に義理がござってな」
「お声をかけずに朝倉征伐をするが良かるベし、とのお心遣いにござる」
「其れで若狭路を経由するのですね」
「ご明察の通りで御座る」
勝家は信澄が地理にも明るいのに舌を巻いた。

途中の朽木村で土豪の朽木元綱の出迎えを受け、若狭湾に出た信長は東に向きを変えて敦賀に向かう。
第一の目標は、越前若狭間の天険を背にし、南と西からの街道が集まる喉頸を押さえる手筒山城とその支城金ヶ崎である。
手筒山は山城ではない。だが断崖に囲まれた天険だった。
そして信長自ら周辺を偵察した結果、正面から力攻めする、と決まった。
丸一日の戦いは熾烈であった。
織田軍は何度も押し返される。
そしてついに城内に突入したのだが、犠牲は大きかった。
そのなかには森可隆も含まれていた。
いつ死ぬか判らぬのは戦場の習いとは言え、十九歳の初陣で命を失ったのである。
そして金ヶ崎も落として、一乗谷を隔てる木の芽峠へと軍を進めかけた次の日、信長生涯最大の危機は襲った。
浅井長政、朝倉に呼応して出兵、の報である。
信長は信じなかった。
だが、次々入る報告は其れが真実であることを告げている。
北近江を押さえる浅井が向こうにつけば、尾張へは勿論、都への退路も無い。
信じ難いことを信じざるを得なくなった時、信長の決断は早かった。
彼の命令は “各個に逃げろ”だった。
自己責任で命を全うして都迄退け、というものである。
ぐずぐずしていることが、この場合最大の敵だった。
そして彼は、側に居た坊丸に「離れるなッ」と怒鳴ると。真っ先駆けて逃げた。
だがしかし必要最小限の手は打っている。
木下秀吉が呼ばれた。
小者から成り上がった昨日今日の将である。
ただ信長は彼を買っていた。
此の最大の危機にしんがりを託した。
此の務めを果たす能力はある、ただし生き残れる可能性は薄い。
もし此の試練を乗り越えられたら・・・、
其れは木下秀吉にも当然に判っている。

木下藤吉郎秀吉は金ヶ崎城に籠った。
諸将は逃げるに邪魔となる武器類をそこへ置いて行く。
装備は十分になった。
新兵器の鉄砲も数多そなわった。
そこへ一人の将が現れる。
「お手伝い致す」
此の死地に自ら乗り込んできた男の名は、明智十兵衛光秀と言う。

彼の立場も木下藤吉郎と同じ、将軍足利義昭の家来として尾張にきた彼は、才を認められて引き立てられてはいても、家中で頭角を顕すには何かに賭けることが必要なのである。

そして追撃に現れた朝倉勢に向かい、木下、明智勢は発砲して敵を城に惹き付けた。
逃げる織田軍本隊の時間を稼ぐのだけが目的である。
敵の数はどんどん増える。
それらに休まず銃弾を浴びせる。
この城に釘付けにする兵数の多い分、使命は果たせている。
そして彼らが脱出する機会は、無くなって行く。
木下も明智も覚悟はできている。
しかし戦国に生きる者として、同じくらいの打算も働いている。
“こりゃ、いかん。本当にここが最期の場か” 二人が腹をくくった時、
その朝倉勢の後ろから思いがけない軍勢が現れた。
「アッ、あれは」
「葵の旗指物、徳川様かっ」
三河の徳川家康。織田信長の唯一の同盟者が自ら救援してくれたのであった。

朝倉の背後から突っかけてきた徳川勢に呼応して木下明智は突撃した。
混乱する敵を尻目に逃げに逃げる。
そして若狭との国境辺りでついに追撃を振り切った、もう追っては来ない。
峠の民家に入って、一息ついて怒鳴る。
「酒だ、酒は無いか」
飲むのではない、傷の手当である。
住民が逃げた後の庄屋屋敷に陣取った三将は顔を見あわせた。
皆手傷を負っている、秀吉は肩に、家康と光秀は左の肘に、酒を掛けて消毒する。
「うぅっ、こっちの方が応えるわ」
「まぁ、此の傷三つで織田の天下が守れるなら、安いものよ」
「はは、天下傷じゃ」
三人はお互いの傷を見せあって笑った。
光秀は家康に向かって言った。
「傷口の形が良く似ておりますな」
「まこと、瓜二つじゃな」
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# by annra | 2005-08-11 07:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ五 奉行職

朽木谷を経由して都へ戻った信長は、体勢を立て直して浅井朝倉連合軍と北近江の姉川で対戦した。
こちらは織田徳川同盟軍である。
この決戦には勝利を収めた。 
朝倉軍を越前に追いやり、浅井をその小谷城に押し込めて、木下秀吉をしてその正面配備とする。
だが信長の苦難は未だ続いていた。
押し立ててやった将軍足利義昭が、裏へ廻っては画策し、足を引っ張っている。
本願寺顕如が全国の一向宗徒に檄を飛ばした。
武田信玄が上洛に動くに及んで危機は最大限にまで高まったが、信玄急死を機に逃れることが出来た。
信玄の死は、包囲した城から聞こえる夜ごとの笛の音を楽しみに、毎夜同じところに出て来たのを狙撃されたのだ、と言われている。
そして浅井朝倉を滅ぼし、将軍義昭を追放してついにその地歩を固めることになる。
その間の信長の東奔西走に従って津田坊丸も働いていた。
始めは小姓達に混じって、次は馬廻り衆と一緒に。
彼は織田軍の幹部候補生たちとともに、そしてその一人として鍛えられた。
信長は遠慮せずにこき使った。
大組織のなかの一員だった、御曹司の扱いではなかった。

「松永久秀様、お見えでございます」
京である。
信長は京に本拠とする館や城は作らない。
今度宿舎にしているのは相国寺である。
お坊の仕事は小姓馬廻り役同様だから、格別の用の無い時は信長の近くに居る。
今日は呼ばれて、そこに控えおれ、と命じられていた。
何か特命があるのだろう。
松永久秀が入ってきた。
小男で、背中を丸めて恭しく入ってきた。
頭も丸めている。
坊丸は始めてだが、名前は知っている。
此の時代に此の男の名を知らない者は先ず居ない。
乱世の梟雄、と言う言葉は此の男の為にあるようなものだった。
信長はいきなり言った。
「これが津田の坊じゃ、」
「ははあーっ」
久秀はやたら恭しく坊丸に向かって礼議する。
お坊は些か慌てた、
「津田坊丸にございます」
「知っての通り、此の久秀の領国は大和一円じゃ、其れも興福寺の荘園を横領したものである、 そのほか凡そ余人には出来ぬことを、三つばかり成し遂げておる」
「お誉めにあずかり、恐悦至極にございまする」
「三つと言うのはな、坊丸、先ず将軍を殺した、次に主家を滅ぼした、三つ目は東大寺大仏殿を焼いた」
「・・・・」 参ったか、と思って顔を見ると、けろっとしている。
蛙のツラに何とやら、の面持ちである。
これにはさすがの信長が負けた、話題を変えた、
あらたまると、
「津田坊、そちに蘭麝待拝領の奉行を命じる」
お坊はまた慌てた、
だが、客の前で、「なんでございますか、それは」と、聞くわけにはいかない。
「はっ、うけたまわりてございます」  何を承ったのか、判っては居ない。

「此のたび、叡慮を煩わして蘭麝待の名香を拝領し、東大寺正倉院より切り取るについて式次第奉行を我が一統である津田坊に命じ、警護のこと松永久秀に命じるものである」
 
信長は奈良へ向かった、供奉が出来る諸将は皆此の晴れの儀をば拝見せんものと従った。
勅封が解かれた正倉院から蘭麝待の入った長持ちが出され、受け取った津田坊の手で久秀の多門山城に運ばれる。
待ち構えた信長は自らの手で蘭麝待から一寸八分角を切り取ったが、これは銀閣を作った足利義政が切り取った先例があるだけで、其れも百年以上前の話であった。

その夜、茶席が設けられた。
祝いの席で蘭麝待が披露され、呼ばれた諸将は名香に酔う。
文字通りの一代の誉れであった。
亭主は久秀で、平蜘蛛の釜が掛けられ、松風を奏でていた。
信長が一国に替えても、と熱望し、久秀が頑として譲らぬあの天下の名物である。
だが、今宵の信長はおとなしく蘭麝待を聴いている。
信長は欲しがった。
権力者の単なる権勢欲ではない。
義政以降の室町将軍家も皆欲しがった。
違うのは熱意だった、
正倉院御物、聖武天皇以来のこの文物の奇跡を正当に理解して、それ故に熱望した。
武力に優れているから、その圧力を使って、ではなかった。
明智光秀は席に連なりながら思った、
この方は比叡山を焼いた。
暴挙であった、
そして自分はそれに手を貸した。
だが、松永久秀の大仏殿焼き払いとは本質が違う。
それは文化的には取り返しのつかぬ犠牲を払いながら、この國の秩序を正し天下を統一すると言う、より大きな目的、必要の為にやむなく行われた。
この人は野蛮人ではない。

帰途奈良を通った信長は、興福寺に立ち寄った。
あまり時間はない。
目に触れる堂塔の幾つかを開扉させて見て、西北のはずれ迄来た。
台地の端に建っている八角円堂がある。
「北円堂でございます」
「うむ、」信長は頷いた。
「これはよいな」
この独り言の意味を理解した者が一人居た。
その男、名は安南杢兵衛と言う。
この日頃、信長が寺社や城郭、邸宅などを訪れるときは、必ず側近くに供奉している。
今回は松永久秀が天守閣と言う新奇なものを築いた、多門山城と信貴山城を見るのが狙いであった、
信長は中へ入った、
須弥壇の上は雑然としていた。
大きな仏、中くらいの高僧像、小さな神将等、一杯に置かれている。
八角の須弥壇の廻りを一周する。
半ば程行ったところで信長の目が、或る一つの像に釘付けになった。
それはそれほど大きくは無い、等身より小さい。
だがその像容は異彩を放っている。
三面六臂、上半身裸体のその像は、大きな瞳で信長を見下ろしていた。
彼は振り返った。
そこには、同じものがあった。
同じように瞳を輝かして、その像を見上げているそれは、生きている。
生きて、呼吸をしている。
「お乱、そこに立ってみよ、並べ」
乱丸は須弥壇に上がりかけた。
でも、ためらった、第一上がっても立つ隙間が無い。
「よいよい、そこでよい」
「こうでございますか」
森乱丸は阿修羅像の前に立った。
「ほうぉーっ」
一同の口からは溜息が漏れる。
乱丸は、ニッと笑った。
悪戯っぽく笑みを零すと、するり、ともろ肌を開いた。
真っ白い上半身を晒すと、手を前に合わせて合掌する。
ややあって、今度は両の手を上に翳す、
次に両側に伸ばす。
蘭麝待の残り香が、辺り一面に広がって。
現身の乱丸と阿修羅像とが溶け合って、どちらがどうなのか、
やがて天竜八部衆のすべてが須弥壇を降りて来てそこに立ち、
織田の諸将と一体化して動き始めたかに見える。
天平の奇跡の幻覚に取り憑かれて、しばし時の立つのを忘れたのは信長のみではなかった。

此の奉行は津田坊丸にとっての最初の表舞台、晴れの仕事だった。
このあと彼は元服して織田七兵衛信澄と名乗りをもつが、未だ前髪姿のままでいて、世間では津田坊の方が通りがよかった。
そして琵琶湖の西岸高島郡に貰った僅かな所領に見あう、小人数の自前の部下とともにあちこちに派遣され、実戦の現場を踏まされるようになる。
単独の親衛隊員ではなく、機動部隊、信長の旗本遊撃隊である。
小部隊だが副官級の武者が必要だ。
そう言うことで、此の時に隊長格、家老並みとして一人の男を召し抱えた。
男の名前は、藤堂高虎という。
もとは浅井の家来で、姉川の合戦に初陣したと言うのだが、同じ浅井の降将、高島郡の大溝の城主、磯野員昌のもとに居たのを推挙してもらったのである。
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# by annra | 2005-08-11 06:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)
 
一ノ六 蛇石
 
天正四年になった。
その歳の正月、信長はかねての計画に着手した。
安土築城である。
着工するとすぐに自身安土に移り住んで工事を督励する。
家臣にも敷地を与えて居宅の工事を急がせた。
安土山は湖岸にあって、三方が湖に突き出した半島状の山になっている。
真正面に大手道、右手北側の裏には湖畔に面して港を持つ搦め手口、左手南側の城下町からは百々橋口、と、三つの主要な取り付き口がある。
坊丸は西北の湖岸に屋敷地を貰った。
何処から見ても裏手だが、彼には考えがあった。
そして彼の考えを補強、発展させてくれる者が居た。
この普請の総指揮者、総責任者である安南杢兵衛である。

安土山は山全体が要塞であり家臣の居住区だが、何と言っても此の計画の最大の見せ場は山頂に聳える天主閣だった。
城に望楼を兼ねた高閣を建てる例は既にある。
だが此の天主閣は他に類例のないものであった。
そして名は体を表す為に此れは天主閣と呼ばれ、天守閣とは呼ばれない。
耶蘇教の坊主があがめるデウスの意をとったこれは、信長の天下布武の象徴であり、織田の威勢を万民に示すものであったが、同時にこれは信長自身の居館でもあったのである。
その趣意は信長から発した独創である。
だが、其れを構想に迄高め具体化するにあたって、もう一人の天才が居た。
安南杢兵衛であった。
越前一乗谷を手がけ、安南の祇園精舎に迄行ってきた此の男の発想は飛び抜けていた。
信長の天才的構想と其れは激しくぶつかりあって火花を散らす。
そして其れは単なる足し算ではない結果となって実り具体化した。
二人は絶えずけんかをしていた。
普通の家臣なら命が幾つあっても足りないような毎日だったが、信長は杢兵衛を信じ切っていた。
そしてその杢兵衛は自分の全身全霊、全存在を信長と安土城にぶっつけていた。
坊丸はそうした杢兵衛を捕まえて、自分の構想を述べることが出来たのである。

きっかけは詰まらぬことだった。
信長は家臣は勿論のこと、威令の届く範囲のすべてに号令して建設用の人材、資材を集めたが、本邦最初の総石垣作りのこの城が必要とする石材は膨大だった。
石垣用の石切り場は近在に数カ所確保したが、家臣達はそれぞれの領地などからよい石を見つけて運び込む。
坊丸も自分の領地である高島郡の三つの村で当たってみた。
安土から船で渡れば対岸、僅かな暇を盗んで出張ることが出来、戻ることが出来る。

大溝の港へ上がった坊丸は三人の村長を呼んだ。
「このたびのお城普請、その方らにもご奉公の機会がある」 
彼は言った。
「お城の偉容を増すような良い石がこの近在には無いか、存じよらぬか」
村長たちは顔を見あわせた。
ここから南へ下った坂本、穴太辺りは良い石が出るし、穴太の石工技術者は築城には欠かせない存在だ。
だからこの辺りの村長も、石については相応の知識を持っている。
「蛇石はどうじゃ」
「あほう抜かすな、どうして動かせる」
「そうじゃなあ」
「その蛇石とやらは何処に在る、どんなものか」
村長達は平伏した。
「へい、すぐそこでございますだ」
「でも、大きすぎて、とても」
「ここ迄引っ張って来られたとしても、乗せる船がございません」

その石は確かに意外に近くにあった。
湖岸から僅か入って山裾が近づいた辺りの野尻にそれは座っていた。
座っていた、と言う表現はぴったりで、大きさは十数畳を越えようか、
見えている高さは人の背ほどだが、根が一体何処迄あるものか、とても動き出しそうには無い。
表面はすべすべとしていて、水を打つと青緑色に光っている。
蛇石とはよく言ったものだが、これは大蛇だった。
村長の家に戻って休憩し、思案をする。
「根の深さが何れ位かにもよろうが、下を掘って引けば湖迄は行けましょう」
と、高虎が言った。
「だが、船には乗りませぬな」
「筏では駄目なものでございましょうか」 村長の一人が言う。
「駄目じゃ、浮いている筏の上に、どうやってつり上げる」もう一人が言った。
「ふーむ」一同黙り込む。
坊丸は立ち上がった。
腕組みをしたまま、その辺りを輪を描いて歩き出す。
仰向いて天井をみつめながら。
その場のそれぞれ皆が、無い知恵を絞り始めるそのなかで、この家の主だけが、何かそわそわし出した。
歩き回る坊丸を気にして、と言うより坊丸の視線の先を気にしている。
そして高虎がその様子に気付く。
「あれは、なんじゃ」
「ひえっ」主の村長は悲鳴を上げた。
皆が立ち上がった高虎の方を見た。
高虎は大刀を鞘のまま抜くと、天井の一角を小突く。
全体が囲炉裏の煙り抜きになっている簀の子天井である。
”どすん”と音を立てて、何かが落ちてきた。
埃が舞い上がる。
この屋の主の村長が悲鳴を上げて逃げかかるのを、素早く高虎が取り押さえる。
「これは、何じゃ」
「ひえーっ、お許しを」
転がっていたのは古い胴巻きだった。

「だれかっ、上がって調べよ」高虎が喚いた。
「はっ」
足軽が天井裏に上がった。
捜索すると、出るわ、出るわ。
「これで全部か」
刀が三振りに具足が半端を入れて四張ばかり、槍一つに弓ひとつ。
「へい」
「よくも稼いだものだな」
落人狩りは珍しくはない、普通に行われている。
戦で迷惑を被る土民にしてみれば、帳尻合わせとも言えるだろう。
だが負けて逃げるところを狩られる方は堪らない。
当然こうした現場を見つけた時の、武士側からの報復は激しいものである。
「こいつはここで見はっておけ」
高虎は足軽に命じた。
「他の者は後の二人をひったてい、こやつ等の家も家捜しじゃ」
引き連れてきた兵は十数名、これで坊丸の手勢の約半分である。
ただ具合の良いことに、今の織田勢は兵農分離が進んでいて、この足軽たちも大方は尾張出身の専業兵士、一昔前なら雑兵はみな地元民だから、こうした場合こんな検索は不可能だった。

三つの村を廻って調べ上げ、見つけたものを始めの家に集めた。
「これはよい刀のようだ」坊丸が一振りの刀を取り上げる。
「よい拵えでございますな」
「都仕立てかな」
坊丸は目釘を抜いた。銘を見る。
「信光、とある」
「聞き及びませぬが」
「まぁ、よい」
坊丸は高虎に目配せする。
高虎は這いつくばって恐れおののいている村長どもに向き直る。
取り調べである。

「お前達の申し条が正しいとすれば、お前達は落人狩りの夜盗どもを退治したことになる」 と、坊丸は言った。
自分の領地の村長全部を罪人にするのは芳しくない。場合によったら話を真に受けて納めてやってもよい。と、腹の中で考える。
村長どもの陳述は
”自分たちは決してそうした非道はしていない、やったのは野伏りどもで、自分たちはそいつ等をやっつけて、彼らの持っていたものを取り込んだだけだ”というものである。、
「それにしても数が多い、それに保管が宜しくない」
さっきの刀は例外で、大半の武器、鎧などが錆びて朽ちかけていた。
「野伏りどもは琵琶湖に沈めて隠しておりましたので・・」
「油紙で巻いて石を乗せて沈めておりましただ」
村長どもは口々に言った。
ここが運命の分かれ道と必死だった。

「そうか、わかったぞ」
突然坊丸が飛び上がった。
「それだ、石を積んで沈める」
「はあ」高虎が顔を見た。
「石だよ、高虎、筏に手で持てる大きさの石を沢山積み上げて沈めるのだ」
「そうか、その上に蛇石を引き込んで載せる」 高虎が和した。
「そして順次石を除いて浮かばせる、これはいけますぞ」
糾明されていた三人の村長は、青い顔を上げてあっけにとられている。
「よいことを教えてくれた、これでめでたく蛇石が動けば、その方等の罪は帳消しだ」
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# by annra | 2005-08-11 05:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ七 寿塔

戻りの船中で、高虎は坊丸に問うた。
「他の者も同罪では御座るが、なかんずくあの最初に見つけた家の村長は如何処分なされます」
「みな罪は問いますまい」と、坊丸は言う。
「だが、隠したものを領主に見つけられた、という負い目を持って村では生きていけまい。そして私たちが領地替えになって動くようには、あの者達は動けない」
「どうなされます」
「隠している物を皆吐き出させた上は、残るのはあの大石を見いだし提供した功だけです、あの村長が村八分にならぬように、確と皆の者に言い含めた上で、労を惜しまず奉公をさせ、その上で三つの村全体に過分の褒賞を与えてください」」

蛇石を動かす目処を付けて安土に帰った坊丸が、超多忙な杢兵衛を捉まえた最初の最初、口をきいた段階では信長の甥と言う立場を利用したが、話を始めるとすぐに此の男を引っ張り込めた。
杢兵衛は言った。
「叔父上様と同じでござるな、これは天才の発想と申すものでござる」
彼はその案にのめり込んでくれた。そして
「その次がございますな、それにも絡ませましょうぞ」
彼は腰の矢立てを抜いた。
懐紙にすらすらと書き始めた。坊丸が覗き込む。
「これがご発案の四艘舟でござる。その蛇石とやらを陸揚げした後は、そのままお屋敷の一部と致しましょうぞ」 坊丸は首を傾げた。
「仰る意味が解せませぬが」
「貴方様は先ほどお屋敷地拝領に当たって湖岸を望んだと申された。対岸の御領地とすぐに船で結ぶ為でござる。ならばお屋敷ごと動かれては如何」
「お屋敷地を掘り下げ、四艘舟がそのままきっちりと入り込むように致します」
「蛇石の代わりに家屋敷を載せるのですね」
「その通り」杢兵衛は坊丸の反応に満足したようだった。
「ただし、実現するのは次でございますな、未だ用意が揃わぬし、何より手が回りかねまする」
其れは坊丸も一緒だった。

始めは筏と言う考えだったが、筏ではそれ自体を着底させるだけの石が載せられない。
積み上げても転げ落ちてしまうのである。
それで船に切り替えた。
船なら舷側があるから石を山積みにして沈められる。
舷がやたらに高い特製の大船四隻の底を、筏状の台で繋いだ台船を作った。
筏部分が琵琶湖の底へついた状態でも舷側は水の上に出ている、筏に巨石を載せてから船いっぱいに積んだ石を取り除く。
坊丸は領地に使いを走らせて、その蛇石と言う巨石を運ぶよう命じた。
そうして首尾よく運び込んだ迄はよかったが、その後がいけなかった。
青緑色にひかる巨大な蛇石は、陸揚げしただけで人目を引いた。
信長は見て、大いに気に入ってくれて、お坊は面目を施したが、
「これは此の城第一の巨石ぞ、天主迄揚げい」
麓迄は来た。だが斜面が上らない。目的地は山頂である。
さすがの彼も音をあげて、加勢を要請した。
結局羽柴、滝川、丹羽の勢が加わってその数延べ一万人、昼夜を分たず引き上げて、仕舞いには信長自身が出て音頭をとる騒ぎにまでなった。

三日目の朝日がのぼった。
石は総見寺と天主台との鞍部迄曵き上げられていた。
巨石の上に座り込んで、お乱に汗を拭わせている信長に杢兵衛が質問する。
「ところで何処へ据えられますのか」
「天主じゃよ、決まっておるではないか」
「天主の何処でござる」
「真ん中」
「真ん中には要り申さず、吹き抜けでござる」
「判り切っておる」
「ならば」
何時ものように少し険悪になる。
だが、森乱丸始め、周りは心配しては居ない。
ほとんど怒鳴り合い迄行って、まるくおさまるのである。
だが、今日はちょっと違っていた。
「近う寄れ」信長は言った。それから周りを見回して
「お乱とお坊、信澄の方じゃ、ここに居れ、他の者は外せ」
「余は此の石が気に入った。吹き抜きの真ん中に多宝塔を建てる」
「存知居ります、よきお考えと申し上げましたが、これを礎石にでもなさいますのか」
「うん」
「些か大きすぎて様になりませぬが」
「杢兵衛ともあろうものが陳腐な意見じゃ」
「はあ」
「見えずとも良い、深く埋めよ」 今日は杢兵衛が押され気味だった。
「お考え、読めませぬ」
信長は機嫌が良かった。
「もそっと、これへ。乱、坊もじゃ」
「なんの為の多宝塔か、杢兵衛には判っておろう」
「判りませぬ、殿のご酔狂でござる」
「知っておってそのように言う。よいよい、なんで多宝塔を建てるのか、わかっておるか、え、乱」
乱丸は美しい顔に知恵深い表情を浮かべながら答える。
「わかりませぬ」
「寿塔じゃよ」
「願わくば、私もお供を」お乱の澄んだ答えが間髪を入れずに帰ってきた。
「うむ」
「巨石を深く埋め、その上に上様永世の御座所を設ける。趣意、杢兵衛確と承りて御座いまする」
「頼むぞ」
あの不思議な奇想の空間、安土城天主閣中央大吹き抜けの底部に置かれた黒漆塗りの多宝塔、それは信長の寿塔、即ち本人が生前に設ける塔婆であった。
その真の存在理由を知るのは、今ここに居る森乱丸。織田信澄、安南杢兵衛の三名のみであり、信長自身の死後に関する心の内をあかした、腹心中の腹心と言えるだろう。
そしてあの巨大な蛇石が何処に消えたのか、と言う記憶も、彼らと同時に永遠に失われてしまうのであった。

天正六年、信澄は失踪した磯野員昌の跡を襲って大溝城主に任じられた。
安土と向き合って琵琶湖を東西から押さえる要衝である。
そして入城した信澄によって湖との取り合いに新工夫がこらされる。
安土城西北湖岸に完成していた彼の屋敷は一風変わっていた。
見たところは普通の屋敷だが、周囲に手摺のある縁が廻り、それに添って溝があった。
中に居て風の強い日などは少し揺れたが、それは此の屋敷が蛇石を運んだ四艘連結船の上に設けられていて、そのまま琵琶湖へ乗り出せるからで、大溝城の湖岸には、此の船〜屋敷がすっぽり納まる同じ形の船渠が設けられたのである。
信澄はこの城を基地とし、一城の主として軍を率いて転戦したが、やはり信長直属の遊撃部隊というのが、その主要な位置付けだった。
織田の家中で彼の出生の由来を知らぬ者は居ないが、それとは別にその円満誠実な人格、優れた識見と行動力は周りの者すべてに認められて、若いながら織田陣営にその人有りと知られるような存在になっていく。
二年後の天正八年、かねての懸案の大坂石山本願寺の一件が決着した。
森妙向尼と乱丸達の隠れた功績である。
信澄は馬廻りの矢部家定とともに、顕如が去った後の本願寺受け取り検使として大坂表迄出向し、そのまま石山駐屯部隊として大坂城守備の任務につく。
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# by annra | 2005-08-11 04:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ八 大馬揃え

信長にとって宿癌であった石山本願寺の件が片付いたとき、既に上杉謙信、武田信玄は亡く、関東の北条は家康を通じて誼を通じている。
羽柴秀吉が毛利と対陣しているが、一頃の四面楚歌とは打って変わって、天下布武の道筋は、はっきりと形になってきた。
信長は明智光秀を呼んだ。
「そちに相応しい働き場を考えたぞよ」
光秀は期待した。このお方は訳の判らぬこともよくするが、少なくとも自分の値打ちは判ってくれている。
「光秀、そなたに大馬揃えの総奉行を命じる」
「はっ」
「主上をお迎えして禁裏の脇に然るべき場を整え、織田全軍を集めての大馬揃えじゃ、信長一代の盛儀と心得よ」
「はっ、はーっ」

大馬揃えは二月二十八日と決まった。
正親町の帝を始め、上下の貴権から京の町雀に到る迄、押し寄せたすべての人々の前を大行進して、今の織田の勢威を披露するのである。
前線部隊にもふれが廻されて、それぞれが手当をして京に参集する。
その事自体が、現在の織田軍の余裕を示している。
信長の構想のもと、部隊編成、行進の順序は光秀を総奉行とする企画立案係が設定する。
途中段階で信長に報告し指示をあおぎ、最終決定に至るのだが、その前の下準備が大変だった。
典礼としての式次第や観閲式としての形態は光秀が裁量して進められるが、事務方にとってはそれ以前に実施上の細部でのこまごまとした問題や、参加の諸将からの苦情処理問題が山積する。

「光秀よ、これはよくないぞ」
今日も一人ねじ込んできた。織田信孝である。
「わしゃ、いやじゃ」
「なんでござるか」
「順序よ、行進の」
「はて、嫡男信忠様、信雄様、信孝様、これで何か」
光秀ならずとも、信孝が三男扱いされていることに不満を持っていることは知っている。
実際に信孝の方が信雄より早く生まれたのだが、生母の家格からこうなっている。
だが、今更ここで蒸し返されても、どうにもなるものでもない。
光秀が、やんわりとそれを言うと、
「違うわ、そのようなことではないわ」 図星を指されて、カッとなっている。
「では、なんでござるか」
「わしの後ろがなんで信澄じゃい」
「はあ」
「あれは父上から言って甥じゃ、子の次は兄弟、兄弟の方が先じゃ」
「叔父上様は多うござれば」
「甥も多かろうが、なんで信澄か、あれは謀反人のせがれじゃ」
八つ当たりである。光秀には判っていた。そして信孝自身も判っている。
同年代の血縁の中では信澄が傑出していて、信孝の方が劣ると見られていることを。

此の問題は光秀が巧く納めた。
信孝は内心では二番目になれぬことに未だこだわっていたが、後ろの四番目が叔父の信包になったので、一応言い分が通ったものと納得する。
信包は信長の弟で、大勢の兄弟中で終始信長に従った唯一の存在である。
ところがその後ろ、織田家御連枝の隊の五番目が信澄と知って、また機嫌が悪くなる。
これは織田一族間の順位五番ということで、自分のすぐ後であることには変わりない。
信孝は光秀と信澄に、してやられた、と思った。
そう言えば、この間婚礼を上げた信澄の夫人は、明智の娘のはずだった。

光秀は大忙しだった。
次々に仕事が、難題がわいて出る。
今日は京の町中へ出ていた。
細川忠興が一緒である。 彼も光秀の婿になる。
だが今日の用事は、そう言ったこととは関係がない。
忠興が京中走り回って見つけてきた、唐渡りの蜀江錦を持っている輪違屋と言う織屋に迄出張って交渉である。
「何せ品は見せても素直に渡してくれませぬ、金がどうと言うのではないようで」
「そなたに会いたいと言うのは、殿に直接献上したいのでは」
「そうでござろうか」
手こずっていた細川忠興だったが、光秀が行くと目的自体は簡単に解決した。
その輪違屋草兵衛と言うのは三十がらみの男だったが、店先に現れたのが御馬揃総奉行明智光秀と知ると、恐悦して一人の年寄りを連れてきた。
「輪違屋草兵衛隠居、先代でござりまする」
老人は歯の抜けた口をモゴモゴさせて言った。
「舶載の蜀江錦、此のたびの盛儀にぜひ用いたい、我が殿の晴れ着を仕立てたいのじゃ」
「織田の信長様御用にございまするな」
「その通りじゃ、言うまでもなかろう」
「承知仕ってござります、信長様御用にこそ、と今迄長年秘蔵して参りました」
「それは重畳、そこ迄の思い入れとは、殿にも言上仕ろうぞ」
「嬉しゅうござる、この草兵衛、信秀様ご子息が天下を取られたを見ることが出来申した」
「何と、そちは信秀様を存じ上げてか、」
「あなた様も存じ上げておりまする」
「え、えっ」
光秀は驚いた。
「あれは天文十九年になりましょうか、御霊社の仮宮を奉安致しましたおり、あなた様は未だ前髪の細川藤高様お供でご一緒に参られた、その折りに織田信秀様は御同席でございました」
光秀は仰天した、 忠興も同様である。
「すまぬ、そのようなことがあったこと、なにがしか思い出しはしたが、済まぬ、もう少し詳しく話してはくれまいか」

そしてその日となった。
信長は宿舎の本能寺から室町を上がり、一条を東に出て御所脇に設けた埒に到る。
そこにはきらびやかに飾った行宮が建てられていて、正親町の帝が百官を従えて出御されている。
織田軍先頭は先ず丹羽長秀、自身の馬廻りに摂津、若狭の衆を従えて登場、次、蜂屋頼隆と河内、和泉の衆、三番は奉行明智光秀が大和山城衆と共にと続いて、一門連枝の衆の出番となる。
最初に織田信忠が八十騎と美濃尾張衆を従え、続いて信雄が騎乗三十に伊勢の衆、次には信包と馬乗り十騎、信孝同じく馬乗り十騎、信澄同十騎と続き、その後は信長末弟長益以下七名がそれぞれに率いる騎馬隊、と言った順序で主上御前を行進する。
光秀が苦心の順序変更は昨日になって信長の知るところとなり、
「叔父が先と言うは尤もである」と、信孝は信包の後ろに廻されてしまったのであった。
信長にしてみればお灸を据えて戒めとしたのだが、信孝が素直に理解したかどうかは疑問である。
ともかくなおも軍勢は続き、更に近衛前久を始めとする公家衆の十騎、続いて馬廻り小姓組の若衆たちが各十五騎ずつの隊列を組んで現れるに及んで華麗さは頂点にまで達した。
玉座の前で彼らが上げる敬礼の鬨の声に和して、列座の殿上人や大小名、群衆の末に到る迄が一斉に上げる歓声が天地に轟いて、その中に信長自身があの蜀江錦の小袖を着、能楽の住吉明神に擬した華麗な出で立ちで登場する。
当日参集した軍勢は三万余、軍馬一万三千と伝えられ、十五騎一組で行進しているうちに、馬場の広さにかまけて三組四組が横に広がって、互いに駆けちがってみせたりして進んだので、その勇壮さ華麗さはこの上も無いものだった。
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# by annra | 2005-08-11 03:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)
 
一ノ九 四国陣 

そして此の年の秋、安土城は竣工した。
出来たところを片端から使って行く実用的なやり方だったが、構想の細部に到る迄すべてが完結し実現し、ここに天下布武の理想が形となって現れる。
そして年が改まって天正十年、甲信方面で異変が起こった。
木曽谷の支配者木曽義昌が、それ迄従っていた武田勝頼を見限って、織田に内応して来たのである。
当然これを潮に武田攻めとなったが、信長は悠々としていた。
即ち長男信忠をして総大将とし、信忠与力の河尻、森などを中軸に、総軍より加勢を加えた体制で進発させて、自分は富士山を見物すると称して、関白近衛前久同伴で後から出陣している。
嘗て信長にとって最大の脅威だった武田の最後は無惨だった。
信玄以来生き残りの家臣にも見放された勝頼は、追いつめられて天目山で自刃、武田家は滅亡する。
凱旋した信長は将士をねぎらい論功行賞を行った。
何しろ甲斐信濃の二国が一度に版図に加わったのである。
家康にも分けるとしても、大盤振る舞いが可能であった。
河尻秀隆が甲斐一国の太守になったのを始め、越後の上杉正面の川中島には森長可が入る。
そしてなんの戦功も無い、小姓の乱丸迄が、美濃岩村五万石を賜った。
と、世間の大半が思ったが、これが実は本願寺降伏の報償であることを理解した者は、何人かは居た。
直接携わった蒲生氏郷は当然として、信長側近の馬廻り小姓達は、いつと無くそれとなくそのことを認識する。
逆説的に言うと、此のことに薄々でも感づける者が、信長の眼鏡にかなう才覚のある者、と定義出来るのかも知れなかった。

それは兎も角として、東の憂いが無くなった信長は西に目を向ける。
羽柴筑前が担当する中国戦線はいまや戦機が熟しつつあった。
そして同時に四国方面にも戦雲は動いていた。
土佐の長宗我部元親とは、始め光秀を通じて懐柔策をとった。
長宗我部の膨張を黙認したのである。
元親の室が明智の家老斉藤内蔵助の妹、すなわち光秀の姪と言う縁を利用したのだが、それは四面楚歌の頃のことであって、今は情勢が変わってきている。
つまり元親の四国制覇が進んで目に余る一方で、織田側には戦況に余裕が出来て来た。
大馬揃えがその象徴である。
ところで元親から見て、最後に残った未征服地は近畿に近い阿波だった。
阿波の守護は細川、その守護代は三好、つまり足利幕府の最後の頃を牛耳った三好長康の地盤であり、現在は織田に下ってその一翼である三好康長の本拠である。
阿波の争奪と言う形で両者の衝突が起こるのは最早必然だった。

信長は、甲州陣と同じやり方をとろうと考えていた。
今度も息子たちに任せよう、
既に家督と岐阜城は長男信忠に譲っていて、甲州陣も首尾よくやってくれている。
当然今度は次男の信雄の出番だが、これは当人が尻込みした。
自他ともに適任とは思わない、と言う困った状態である。
自然三男信孝にお鉢が廻る。

信長は四国陣の為の軍議を開いた。
家臣一統が居並ぶ中で信孝を指名した。
「その方、このたび四国入りの総大将を命ずる」
信孝が喜んだことは言うまでもない。
「ははっ、必ず勝ってご期待にそいまする」
信長には未だ一つ考えがある。
「副将、織田信澄、これはそちに命じる」 
二人の姿を見比べながら、つづけて言った。
「若きものどうし、助け合い競い合うてこの任に当たれ、確と申し付けたぞ」
更に、
「丹羽長秀並びに蜂谷頼隆、その方ら老巧、与力衆としてこの若き者どもを補けて出陣せよ」
平伏する一同を見渡して言葉をつづける。
「皆よく功を挙げ、めでたく凱陣して参れ」

対長宗我部の布陣を終えた信長の頭の中は、今度は遊び心でいっぱいだった。
と言っては間違いで、これも政略、外交の一旦だろうが、
盟友徳川家康を安土京大坂へ招いての甲州陣慰労の接待である。
これにも最初明智光秀を起用した。
正式の饗宴などと言うものを処理出来るのは、家中この男を置いてより無い。
だが一旦発令したこの人事を、これも急に変更する。
自身中国陣出馬、羽柴筑前の応援に向かう、と決めたからであった。
なぜか。 
羽柴は優勢に戦を進めていて、救援する必要などまったく無い、
先方は、来てくれ、来てくれ、相手の大将も出てくる、とせっついて来るが、これは猿らしい深謀遠慮と読めている。
さりながら折しも京の朝廷では、今現在無位無官の信長の真意を忖度して、任官の問題につき五月蝿く打診してきてしょうが無い。
ちょうどよい、自身出馬して中国方面を見聞し、久しぶりに戦場の勘でも取り戻すか。
さて、そう決めて廻りを見回すと、誰も居ない。
信澄を四国に向けていなければ、これが一番よかったろうが、饗宴奉行の更迭と副将の更迭では重みが違う。
自然、明智光秀出陣せよ、と言うことになった。

信澄は大坂城へ戻った。
石山本願寺は全焼したが、後の石垣の上に幾つかの櫓も新造して、結構堂々たる城構え、
新妻と出来たばかりの長男は大溝城に残して、ここが彼の任地である。
それがこのたびの四国陣発令で、渡海部隊の本営になった。
自身副将となったわけでもあり、つぎつぎに参陣してくる軍勢を受け入れて、渡海の準備に忙しかった。
その過程で彼の内心に、ふと一抹の不安がよぎる。
世間では大将の信孝と自分の仲が悪いと見ているようで、彼自身の判断でも信孝は腹に一物あるらしい。 
だが、そのことではない。
集まって来る軍勢の質である。
大将信孝の直属部隊、丹羽、蜂谷の勢、自身の手勢、そうした本来の織田軍は良いとして、総軍の半分を占めるのは寄せ集め、河内和泉阿波淡路など、このあたりの小領主である。
お互いにドロドロした因縁があって、それぞれが最近迄いがみ合い殺しあっていたようなのが、風を見て信長に下り、臣従して今ここに集まっている。

「まぁ、しかたがないか」彼はつぶやいた。
「御懸念、尤もなれど大事には成りますまい、それよりも」
相手は声を潜めた。
「御大将とのことでござる」
「また、それか」
「あなた様の誠意、正しく伝われば宜しゅうござるが、人は様々、」
ここは城の西側、海の見える櫓。
千貫櫓と言って信澄の陣所、中央の大櫓は渡海軍の本営となって信孝が居る。
そして話をしているのは、藤堂高虎とであった。
高虎は今は中国陣に居る、羽柴筑前守の弟秀長の股肱の臣。
藤堂村の領主となった秀長が、是非にと言ってきて、信澄から円満に主替えをしていた。
ちょうど大溝へ入る頃のことである。
その高虎が今ここにいるのは正規の軍使、
信長出陣の決定を受けた秀吉が、四国渡海軍との連携を計るべく、副将信澄と縁のある高虎を選んで、情報交換の任務を与え派遣したのである。
高虎の懸念を聞いて、信澄は言った。
「そなたの心配、判らぬではない、されど、それこそ人は様々、疑い嫌うては何事も成らぬ、少なくともこちらはそうでは無い。まして大将と副将、立場を弁えけじめを立てれば、丸く納まろうと言うもの」
彼は高虎に向き直った。
「それよりも高虎よ、これより海を渡って出陣するからには、いつ何時何事が起こるやも判らぬ身の上。若しもの折りは大溝城にある我が妻子のこと、頼み参る」
「は、確と承りて候、されど御武運盛んなれば、さようのご心配は全く以て杞憂でござるわ」
「はは、それはそうあって欲しいものよ」
彼は後ろに立てかけていた一振りの刀を手に取った。
「これを進上仕る」
「これは・・、もしやあの蛇石の折りの」
「そう、そのとおり、その信光の銘だが、足利家所用の信光と同じではないか、と言う者がいる、一度細川幽斎殿に見てもらおうと思っていたのだが、もしもその通りならば、この春安土築城の功を賞されて安南杢兵衛が賜った、信長様御所持のあの名刀と兄弟になる」
「そのような謂れでございましたか、それでは恐れ多くて、とても」
「いいや、この際、ぜひにも受け取ってくだされ」
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# by annra | 2005-08-11 02:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ十 千貫櫓

高虎が帰陣した後、信澄は境の港に出張って、船の用意に忙殺されていた。
あの巨船、九鬼嘉隆の鉄船も志摩から廻航されてきた。
先陣として明日は三好康長が渡海する。
元々阿波の細川家の家老だった三好長康、室町幕府の終末期を牛耳った男の一族だから、阿波は本領と言っても良かったし、事実長宗我部の侵略に耐えて今でも何分の一かは実効支配している。
その彼が出陣の挨拶、と言ってやってきた。
信澄が求めたものだった。
相手は降将と言っても戦歴豊富の年長者、副将だからと言って、挨拶を要求したりする信澄ではない。
珍しいことだ、と思った者も居たが、理由があった。
「船の用意も整うて御座る、明日出航致す」
「ご苦労にございます、阿波は御本国、此のいくさ、定めて数多の武勲をお立てになりましょう」
「期してお待ちくだされ」
「そのまえに」
信澄は座り直した。
「御定で御座る」
「は、はっ」
「三好康長儀、このほど四国攻め先鋒を申し付くるにつき、本領阿波一国安堵のこと、あらかじめ約し置くものなり、せいぜい奮励仕るべきこと」
「はッ」
康長は座を滑って、頭を下げた。
深々と下げた、芯から嬉しそうだった。
「これより大坂表ご本陣へ戻り、上方御遊覧の徳川家康様をお迎え致します故、明日のご出帆、お見送りは出来申さず、ご武運をお祈り申し上げまする」
「ハツ、ははぁーっ」

大坂で家康を出迎えた信澄は、一日挿んでまた堺に戻った。
堺遊覧のお供と警護である。
家康には信長馬廻りの長谷川藤五郎が、接待役として随伴している。
信長からは未だにお竹、と幼名で呼ばれている秀一は、お坊、信澄とは近習馬廻り役として、かねてからの同僚であった
その夜は天王寺屋津田宗及の家に止宿する。 それは六月一日だった。
そして六月二日の朝を迎えた。
家康は秀一と信澄を前にして言った。
「まことに有り難うござった。京、堺と上方を堪能させて頂いた上は、帰国に先立って再度信長様にお目通り、御礼申し上げたいが」
「ご丁重なるご挨拶、痛み入りまするが、そこ迄の御斟酌には及びますまいと存じます」
「いや、お手間を取らせるが、これより京へ戻ろうと存ずる」
「上様のご出陣、ご予定は」
秀一が信澄に訊いた。
「中国への御出陣は、早くても明後日でございましょう」
「さようなれば間に合いまするな、ではお供致します」

大坂迄家康と同道し、京橋口迄見送って信澄は城に戻る。
家康一行は京街道を北へと向かう。
異変を知ったのは、京に向かっていた家康の方が早かった。
昼前後に聞こえてきたその一大変事が、虚報ではない、と判断した時の家康の行動は早かった。
「京は敵地と相成った、これより道を東に取り、山道をとって伊勢湾に出、三河に戻る」
悲報に一時は茫然自失であった秀一が、気を取り直して進言する。
「大坂には四国渡海軍が居りまする。一時それに身をお寄せ下さいませ」
家康は首を振った。
「ならば某もお供仕る」 とっさに秀一は言った。
この期に及んでは、家康の無事を見届けることが主命を全うすることだ、と、彼は確信した。
その判断は信長が重用した彼らしい至極のもの、おそらくは信長も認めてくれようが、山崎に参陣出来なかったことで、彼は後々迄不利な立場に立たされることになる。

朝の京での出来事が大坂に伝わったのは、午後になってからである。
始め誰も信じなかった。
だが、あちこちから入り始めた情報はただひとつのことを示して居る。
”明智日向守光秀謀反” そして、
”織田信長様、信忠様ともにお討ち死に”
夜遅くなり、夜が明けた時点でその報道は確定的となった。
一番信じなかったのは、信澄であった。
事実と判っても、信じたくはなかった。
自分をこれ迄育ててくれた事実上の父、四国征討軍副将に任じてくれた主君、
そしてそれを討った謀反人は、妻の父。義理の父。
“謀反人”と言う言葉が彼を襲った、彼の深層意識の中で禁句としていたものだった。
“謀反人の息子” 二度と呼ばれたくない言葉が彼を襲った。

大阪城は騒然としていた。
ただの騒々しさではない。
丸一日経った今、どの城門も開いたままになっている。
新規に与力となった者ども、近郊近国の土豪、小領主達、その軍勢が逃げ散りだした。
総大将信孝の威令も何も無い。
肝心の信孝自身自失して、本営の中を右往左往するだけである。
本来の織田勢の中にも浮き足立つ者が出始める。
三日目になって蜂谷頼隆が統制しようとしたが、抵抗される。
内戦状態になりそうだった。
頼隆は自己の判断で手勢を率いて城外にでた。
城の北側に野陣を張って京方面の情勢を探る。
丹羽長秀は城内に居た。
本丸櫓に、信孝と共に。
そして信孝が、馬鹿なことを言出した。
今頃になって気がついたのだ、そのとたん恐怖に震え上がる。
あいつは、従兄弟のあいつ、副将のあいつは謀反人の息子だ。
昔からそうで、今またそうなった。
あいつは今、千貫櫓だ。
京の光秀、あいつの義理の親父からは、もう密使が来ているのでは・・・
いいや。始めから知っていて、共謀しているのでは、実の父の仇討ちに、
信孝は喚いた。
「信澄を討つ、 あいつは敵じゃ、謀反人の一味じゃ」
長秀はあっけにとられた。
その長秀を放っておいて、信孝は走り出す。

信じられぬことがつづけて起こった時、信澄は冷静だった。
「なぜ」
問うても意味は無かった。
千貫櫓は包囲されていた。
味方の本陣であった兵が雪崩れ込んでくる。
彼は櫓の一番上に上がった。
海を眺めながら肌を開いた。

信孝は長秀が止めるのも聴かずに、それを実行させた。
“この者謀反人の一統なり、よって誅殺しここに晒す”
つい数日前も、信澄が走り回っていた堺の港であった。


この後に続いた、どんでん返しは誰が予想出来たろうか。
やってのけた羽柴筑前守秀吉自身、どれだけ確信があったのだろうか。
彼は戻る途中の姫路城で、城の金蔵を空にして部下に分け与えている、
決戦の覚悟を示して部下を鼓舞する、彼らしい振る舞いだが、後のことは考えないとする本心からのものでもあったろう。
とにかく、彼は引き返した。
あっというまに。
色々な条件も味方したろう、具合よく和議が山場を迎えていた。
だが、のちに中国大返しと呼ばれるこの行動程、軍事的に見て卓越したものはまず無いだろう。
金ガ崎の退き口、中国大返し、この二つの作戦の成功が戦国武将羽柴筑前をして天下人にのぼらせた軍事的成功であり、大きな原動力と言ってよいのだろう。
変の報が至った時、他の戦線では何があったか、
大坂の場合は既に見た。
新占領地の甲信では、武田の旧臣と土民の蜂起にあって、甲斐の太守河尻秀隆は横死、
川中島の森長可は血路を開いて脱出。
更にその先、最前線の上州厩橋に迄出張っていた滝川一益も自身手傷を負って退却と、
総崩れの中で、秀吉のみ山崎に兵を結集して主君の仇を討ち、光秀の天下を十一日で終わらせたのである。

     妖刀伝・外伝 巻之壱  織田信澄     完


   おしらせ:
11日より、巻之弐  豊臣の世 に入ります。
筆者都合により、
アップは下記の予定と致しますので、ご了承ください。
  二ノ一:初参内    7月11日(月) 朝アップ
  二ノ二:風雲、 二ノ三:南光坊天海大僧正                       12日(火)  々 (二日分同時)
  二ノ四:戦後処理   14日(木)  々

15日朝アップ分より、巻之参 血・繋ぐ に入ります。
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# by annra | 2005-08-11 01:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

  妖刀伝・外伝巻之弐 豊臣の世

 二ノ一 初参内

「えらいことやなぁ」
「ほんまに」
「信長はんの大馬揃え以来やで、此のにぎわいは」
京の町雀がさえずっていた。
「来はったで」
武装した前衛の騎馬と歩卒がやってきた。
後からは平服の供の武士達がおおぜい来る。
騎馬もあれば、徒歩もあるが、一様に和やかな顔をして着ているものも晴れやか、華やかだった。
ギィ、ギィ軋む音が聞こえてくる
「あれや、あれや」
都大路に群れている彼らのお目当てがこれだった。
大きな牛車がやってくる。
御所車、牛の鼻ズラから両側に伸びた赤い紐に赤い水干の牛飼童が取り付いて、あとの白丁達も皆公家の供の姿である。
「おもろい屋根やな」
「檳榔毛唐庇車」
「なんやて」
「ビンロウと言うてな、南国の木の葉で葺いた屋根に唐風の庇の車や」
「こんなな、一代のご盛儀にだけ許される御所車や」
「そやけど、乗ってはるのは御幾つやね」
「五つにならはるのと違うか」
「えらい御威勢やなあ」
「当たり前やろ、太閤はんの一粒種や」
「それが始めて御所へ行かはるんやもんなあ」
無意味な外征など忘れ果てたかのような豪勢さ、豊臣秀頼初参内の光景である。
随行の大名たちは一日晴れと言って、本日に限り規定に縛られず自由に着飾ることを許されていて、公家風と武家風の折衷のよう、動きやすさと華やかさを兼ね備えた身なりで、ただ皆立派な太刀は携えている。
ずらりと勢揃いしてお供する大名達の、端っこの方に藤堂高虎が居た。
今伊予宇和島で七万石、豊臣秀長の家老職を務めていた彼は、主君の死後秀吉の直参となっている。
朝鮮に渡っていたのだが、後見をしていた秀長の後継者、秀次末弟秀保が十津川で変死した為に戻っていた。
それは秀次切腹と同じ年の事で、溺死とも小姓に殺されたとも噂され、そのまま世に忘れられている怪事件である。
その高虎は少年を一人伴っていた。
その子に声をかけるのを、横の大名が聞きとがめて尋ねている。
「今、若、と呼ばれたようだが、ご子息かな」
高虎はその男の顔を、ちらっと見た、
一息吸ってから、おもむろに答える。
「あ、いや、若丸と申すのでござる」
「さようか」
それは太閤殿下のお伽衆で織田信長の次男、一万石取りの信雄であった。

供奉を終えた高虎は瀬戸の海路を宇和島の我が城へと向かった。
朝鮮の戦線へ戻る準備の為である。
そしてその地で、あのとき”若”と呼んでいた少年に、元服の儀を施した。
前髪は残したままで烏帽子を頂いた少年が、新たに持った名乗りは二通りある。
異例なことではあるが、此の一族では珍しくはない。
使い分けるのに規則があるわけでもなく、本人次第、時と所によるのだが、
第一の名乗りは織田信重、もうひとつの名は津田昌澄と言う。
最初のものは織田家の伝統、信の字を上に戴いて、弾正忠家信秀の曾孫に相応しく、二つ目は織田信行の長子にして織田信長の甥である大溝城主織田信澄、幼名は津田坊丸の嫡男であることを示していた。
そして水軍を組織した高虎は肥前名護屋の城に向かう。
名護屋の本営で秀吉の前に出た高虎は、信重〜昌澄を伴っていた。
お目見えを得て、加冠の報告をする為である。
秀吉は機嫌良く会ってくれた。
伴った若武者が織田信重と名乗り、織田信澄の遺児であることを知り、高虎の手で成人したことを知って、かれは飛び上がって喜んでくれた。
「でかした、高虎よ、良くやった、これは大手柄じゃよ」
「そちが信澄の家来であったのは、津田坊の頃であろう」
「御意」
「ならば秀長に仕える前のことではないか、えらい、えらい、旧主の子にそこ迄尽くすとは」
「は、実は四国陣の前に信澄様より後を頼まれましたので」
「そうであったか、それにしてもえりゃあわ」
「高虎っ」
「は。はっ」
「おみゃあの家来にしておくわけには、いかんでなも」
太閤秀吉は興奮していた。
信重は豊臣家の直臣となった。
「わしにとっても主筋じゃ」

高虎は水軍を指揮して朝鮮の戦場へ渡る。
織田信重は豊臣の臣として、藤堂の与力として従っている。
志摩の九鬼嘉隆、淡路の脇坂安治ほどの大艦隊ではないが、瀬戸の海賊の一統であった。
水軍は海外遠征の此の戦において、本来もっとも重用されるべき部門だったが、秀吉は海事に疎かった。
其の点、織田信長とはひどく違っていた。
文禄の役では緒戦から朝鮮水軍に翻弄され、名将李舜臣提督の手で制海権を奪われて補給もままならなくなり、せっかく鴨緑江に迄達した地上軍も押し返されてしまう。
突然の侵略から立ち直った朝鮮民衆の反撃と、明の応援軍の到着と言う事態も重なっていた
朝鮮水軍は亀甲船と言う新兵器を使っていた。
これは船の上部に亀の甲のような覆いを設けて、それ一面に槍の穂を植えたもので、稲藁で覆って出撃すると、飛び乗ってきた無知な敵兵は串刺しになる。
此の頃の海戦は敵船に乗り移っての白兵戦が主だったから、これは致命的だった。
そして、周囲を囲んで隙を伺う敵に対しては、亀甲の下、舷側との間の隙間から石火矢や矢を放つ。
そうしてその間にも織田信長〜九鬼嘉隆〜安南杢兵衛の装甲戦艦、秀吉に取っては悪夢であるあの巨艦群は、志摩の浦のあちこちで朽ちて行っていたのだった。
文禄の経験に懲りた秀吉は、慶長の役では九鬼嘉隆に大船を作るように命じていた。
喜んで建造に取りかかった嘉隆だったが、出来上がったものは、かの戦艦とは全く別のものだった。
注文主の好み考えが全く違う。
それは簡単に言えば城の矢倉と御殿を船の上に積み上げたものだった。
一本の帆柱があるが帆は追い風でしか使えない、そもそも床が傾いたのでは御殿の用にならない。
航海には百丁櫓で漕ぐのだが、それで速度と言えるものは出なかった。
なんとか移動するだけだった。
要するにこれは船ではない。
三本の帆柱いっぱいに風を孕んで、滑るように出て行った乾坤丸の姿が脳裏に焼き付いて居る嘉隆には堪らなかった。
そして命名の段に到って、九鬼嘉隆はついに切れた。
彼はせめてもと、その大船に“鬼宿丸”と言う名を付けるつもりでいた。
織田装甲戦艦戦隊の旗艦の名であった。
出来上がった船を見た秀吉は言った。
彼は上機嫌だった。
その船は彼の好みには合っていた。
でかくて、きんきらきんで、何時も居る御座所のままのようだった。
「嘉隆、これはまさしくわしの舟じゃ、名まえは日本丸、日本丸しか無いぞ」
嘉隆はついにキレた、
あの日乾坤丸の墻頭に翻っていた日の丸の小旗、それに託された織田信長の理想を知っている者には、此の船に此の名は託されない。
彼は隠居を願い出て、志摩に退散した。

嘉隆の引退後何ほども無く秀吉は死の床に臥せった。
意識の確かなうちに指示を出して、織田信重の帰還を命じる。
会うと、秀頼に仕えてくれるように、と、頼み込んだ。
「そなたも、そなたの父も、親の顔を知らず育った、秀頼もかわらぬ、頼む、たのむ」
それは命令ではなく、懇請であった。
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# by annra | 2005-08-10 04:00 | 外伝巻之弐 豊臣の世(完)

作者都合により、
 七月十二日分、二ノ二 風雲
 七月十三日分、二ノ三 南光坊天海大僧正              の二節を同時にアップし、十三日のアップはお休みと致します。


 二ノ二 風雲

太閤の死は前線に暫く秘されていた。
こう言ったとき、概ねはこうしたものだが、知らないで戦ってその間に戦死した者は浮かばれない。
死んだのは八月十八日で、撤退が完了したのは十一月も末だった。
そしてそのあとは一瀉千里だった。
前田利家が生きている間は未だ良かったが、翌年彼が死んだ途端に騒動が起こる。
世に言う七将襲撃である。
三月三日の夜、利家の死去が公になった夜、大坂の石田三成邸が完全武装の七将の勢に囲まれた。
囲んだのは福島正則、加藤清正、浅野幸長、蜂須賀家政、黒田長政、細川忠興、そして藤堂高虎である。
結果は三成を取り逃がし、伏見迄逃れた三成は徳川家康の屋敷に駆け込んで庇護を受けたが、そのまま居城佐和山に蟄居となって、家康は一番の政敵を封じてしまう。
七将の動機と目的は何だったろう。
福島、加藤は生理的な反目、つまり秀吉子飼の小姓上がりとして武断派と吏僚派、出世の道が全く異なり対立してきたことにあるだろう。
浅野、蜂須賀は蔚山城の死地をともに乗り越えた戦友愛が、清正に同調と言う形になったと言えるが、問題はあとの三人。
忠興は自ら自らを野心家に分類したが、秀吉亡き後の世相についてどう判断しかつどう積極的に行動するか、野心家のそれぞれの思惑が結果として一致したものであったのだろう。
細川忠興は乱世を望まず、いかにして早期に平和を回復するかを考えて行動した。
黒田長政は全く反対に乱世を呼び込み、その中に己の才能を結実させたい、と望んだ。
そして高虎はそれらに目配りして尻馬に乗った。
世間では、清正等と同じく朝鮮で苦渋を飲まされた結果と捉えるだろう。
それはそれでよし、名聞と迄は行かないが、理由にはなる。
これも戦国乱世を生きてきた知恵だった。
彼は次の大本命、徳川家康に積極的に接近する。
もし主君としたら、それは浅井から数えて七人目となる。

風雲は急を告げていた。
豊臣の五大老のうち、利家の跡継ぎ利長は屈服したが、上杉景勝は明確に反旗を翻した。
家康からに詰問に対して、謀将直江兼続は痛烈な返書を以て報いた。
世に言う直江状、立場の如何を問わず一読背中に風が吹き抜ける気分になる啖呵である。
それを名聞にして家康は上杉討伐の軍を起こす。
大老筆頭が大阪城で軍議をして、謀反人を攻める。
豊臣の家臣たる者、命に従って出兵するのが道理であり、大方はそう動かざるを得ない。
だが、この謀反なるものは石田三成との連携作戦で、家康を大坂から引き離し、太閤後継の野心を砕くのが目的であり、家康またその手に乗って三成の決起を誘う腹なのだから、いずれ東西激突となる。
小山の陣で三成挙兵を知った彼は、直ちに反転した。

徳川家康は比叡山に居る天海を呼んだ。
織田豊臣系の武将達を先発させ、自身は座り込んだ江戸城に、であった。
対上杉の行動を起こしてからと言うもの、全国通々浦々の凡そ領主と名の付く者達からは手紙が殺到している。
要は出陣祝いと言う形をとって慇懃を通じ、ご機嫌を取りあるいは形勢を窺うものである。
それを片端から披見し、相手と内容に応じた返書を書く、多数派工作だが、中身は飴と鞭、色々であった。
その為に多忙をきわめて出陣が遅れに遅れて周囲の不審を買ったが、これにはべつに二つの理由があった。
ひとつは先陣を命じた織豊系諸将の動向向背を見る。
離れておれば万一離反された時の影響が少なくて済む、そしてそのような目で見られていると感じたとき、諸将は一層奮励努力して忠誠を示すだろう。
そしてもうひとつが天海の到着待ちである。
家康が天海と会う時は他の家臣は居ないことが多い。
用向きが概ね加持祈祷ないしは卜占だからだ、と理解されているが、つまりは究極の密議であった。
あの男と始めて会ったのは、関白が太閤となった頃のことだった。
単に比叡山天台の碩学と言うことでつきあい始めたが、お捨、いまの秀頼公誕生の際に密かに立てさせた卦から家臣、謀臣扱いになった。
「御坊に折り入って頼みたい、先々の吉凶を占って頂きたいことが有る」
「なんなりと」
「これへ、」招き寄せた、声を潜める。
「豊家若君ご誕生のことである」
「・・」
天海は目を上げた。 
家康の顔を見る。
だがそのまなざしは常の者とは違っている、
みつめているのではない、もっと言えば見ても居ない、ただこちらを向いて、そしてこちら側のすべてを包み込んでいるような目であった。
「我等にとっての先々の運勢の卦」
「十五日の後に」天海は一礼して下がって行った。
その日が来た。
前にもまして厳重な人払いを敷いた。
「若君のご生誕、豊臣家にとって大凶にござり申す」
「当家には」
「申すまでもなく、大吉」
「訳は、」
「占いに訳等ござりませぬ」
「でも、知りたい」
天海はまた家康の顔を真正面から見た。
「ならば」 天海は座り直した。
家康は問うた。
「世継ぎが生まれて何故の大凶か」
「既に豊家世継ぎはお決めでございまする」
「関白が事よな」
「さようでござる」
「今、実子が生まれる、つまりは、天下争乱のもとか」
天海は瞑目した、
合掌して呪のようなものを唱えている。
家康は考え込んだ。
深く考え込んで、独り言を漏らしていた。
「天下争乱、豊臣家に取っての大凶」
「それが、それ故に、我が家の大吉」
天海は呪を唱え終わった。
ぽつり、と言った。
「王侯将相なんぞ種あらんや」
「太閤の事か」
「捨て、拾い、ともにおなじ」
「母の血筋は、織田、浅井ぞ」
天海は首を振った。
「父親が知れませぬ」

 二ノ三 南光坊天海大僧正

天海が着いた、と聞いた家康は、何時も良くやるように、奥まった小部屋に薬研を持ち込んで、ギイギイ音を立てて、薬を研ぎはじめた。
襖が開いた。
天海が音も無く入ってきて座る。
「よう参られた」
家康は薬研を置かずに側迄招き寄せる。
研ぎ音は格好の目くらましになる。
「太閤亡き後利家も無し、ここ迄は御坊の計らいのごとくで御座る」
「拙僧が計らったわけにてはござらぬ、時の流れ、運気と申すもの」
「さらば次の運気は如何か」
天海は目をつぶった。
「いま東西決戦、大義は何れにも無し」
「なんと、」
「西は秀頼を擁し、東は君側の姦を除くと言う、されど所詮は豊家家来間の私闘でござる」
「よって事はすべて実利によって決する、すなわち軍勢の多寡明らかなればそれにて決し、先々または今、己に利あるはいずれか明らかなれば、それにて決します」
「軍の数、これは定まらぬ、その事自体がそれぞれの利害によって変わる」
「東軍と申し、西軍と申しました、これは東国軍、西国軍と読み替えて宜しい」
「決戦の場は美濃、不破の関辺り、領地がそれに近くかつ東西何れに有るかで、先ず諸候の動向は決まりましょう」
「そのように割り切ってよいのであろうか」
「大局と申すものでござる、勿論九州奥州のごとき遠地は別でござるし、もうひとつ、数は少なくも明らかな信念判断を持って動く者も別でござる」
「それは・・」
「先ず第一、直江山城、上杉幕府樹立が夢でござる。 伊達政宗、これも天下に望みを繋ぎ居ります。ただいずれも今申す東西決戦の場には縁は無し」
「場に絡む者のうちでは何者が・・」
「例えば三成を襲った七将のうち、細川忠興、黒田長政、藤堂高虎の三名、高虎は自身の勘と経験に従って徳川の世と読みこれに掛けており申す、黒田長政、これは父ゆずりの乱世の雄なれば争乱の中の立脚点を徳川に求めて従いまする。細川忠興は父幽斎殿がすべてに通じ、すべてを見通しておりまするなれば、それによりつつも、己の判断にて動き居りまする、ただし黒田と異なり彼が求め居りまするは泰平でござる」
「これらの者は己の考えを固めてお味方仕れば、安んじてお使いなされ」
「ではその逆は、裏切るは、何者」
家康は手を止めて、天海に向き直った。
じっと顔を睨んでいる。
天海も正面から見返している。
二人の間に電流が流れて火花が散った。 
そして、家康はフイと顔を逸らした。
左の袖口をまくり上げた。
「かゆいわ」
肘の辺りを示して掻く、
「朝倉攻め、金が崎の退き口での手傷でな、こう言う時には痒くなる」
目は天海をみつめたまま、
天海も見返したまま、
時が止まっていた。
やがて天海が口を開く。
「天機を捕らえて動く、ならば天下も覆り申す、西軍の中に埋伏なされ、それらの者を」

決戦は近づいていた。
そして東西どちらも豊臣秀頼を立てていることには変わりない。
三成は勿論だが、家康も豊臣に代わるとはおくびにも出していない。
だがよほどのお人好し、ぼんくらは別として、概ねは政権交代を前提で自らの行動を律していた。
お人好し、ぼんくらの代表は大老毛利輝元、家康を先物買いする、はしっこいのは先の七将中の野心家達など。
何が何でも三成憎しの武断派太閤子飼い上がりは別として、その他の諸候は右往左往。
藤堂高虎はひそかに動いていた。
家康に従って下野小山から兵を返したが、上方に居て西軍に属することになる知るべの大名に手を回す。
まずおなじ伊予で同じく七万石、隣りの府中の領主小川祐忠、
この男は山崎の合戦では明智に属し、そのあとは柴田に属したが、長浜城に居た勝家の甥勝豊の付け家老の時、勝豊が秀吉に調伏されたに伴って羽柴に移り、次第に立身した人物である。
次は朝鮮で戦友だった水軍の将、淡路の脇坂安治。
彼は賤ヶ岳七本槍だから、太閤子飼の一人、恩顧の最も厚い一人になる。
此の仲間は強烈な反三成派が多いが、彼はそれほど突出してはいないようだった。
此の二人はいま大老宇喜多秀家の指揮のもと、伏見城攻めに加わっている。
だが、彼等二人は二人とも揺れていた。
そして高虎の誘いに乗って来た。
高虎は家康の前に出た。
「脇坂安治、小川祐忠、それがしが説得に応じ、我が軍に心を寄せ居り申しまする」
「それはよい、したがその覚悟のほど、どのくらいに確かなるか」
「脇坂は太閤子飼なれど、朝鮮の戦で愛想を尽かしておりました。此れは同じ水軍として行動をともに致した某にも良く伝わりおり申す」
「祐忠は如何」
「これは利を以て釣っておりまする、なにがしでもお示し頂ければ即落ちましょう」
家康はちょっと考えた。
「明らかに申すは避けたい、あの男、元々向背常ならぬ。言質は与えずとも転ぼう」
「脇坂は如何致しましょうや」
「うむ」
家康は後ろを振り返った、崇伝に、
「あれを高虎に見せてやれ」
崇伝がもってきた書状を披見して見て、高虎は驚いた。
「これは、」
「脇坂安治、既に二心なきを誓って来居り申す、しこうして高虎殿の説得に応じるものである事も明示しており申す」と、崇伝。
「良く心配りしておる、此れは然るべしじゃ」と、家康。
「それよりも」崇伝が一礼して言う。
「敵の総帥、毛利大老を骨抜きに致しまする」
「なんと、いかにして、」
「吉川家当主広家どの、宗家毛利輝元殿が所領安堵を条件に、当方に従う意向を示し居ります」
「それは大変良い話じゃ、進めよ」
「もうおひとり。毛利三川の一、小早川秀秋殿は」
高虎は訊いた。
家康が返事する。
「此れも手は廻しておる、あの若造ふらついておるがな、良い家臣が居ってな」
「松野道円じゃ」
「あぁ、なるほど、」 高虎は納得する。
「先代隆景殿と二人で朝鮮の山野を駆け回られる姿は、それがしの目に焼き付いておりまする」
「うむ、だがな、もう一人宿老が居ろう、太閤が金吾に付けた家老の稲葉じゃ、」
「あれを天海が操っておるでのう、いずれは役に立つであろうよ、」
崇伝がいやな顔をするのを、片目で流し見しながら家康は呟いた。
「天海が裏切りの糸を引く、さぞや、えげつないものになるであろうよ」
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# by annra | 2005-08-10 02:00 | 外伝巻之弐 豊臣の世(完)

 二ノ四 戦後処理

雨は上がった。
霧も晴れた。
高虎は左翼に陣していた、右隣には福島正則の軍、東軍の先鋒である。
藤堂勢と共に有るのは京極高知、正面の敵は大谷、平塚、戸田勢。
左側の山上、松尾山には小早川秀秋の大軍が居て、山麓には脇坂、小川、それに朽木元綱、赤座直保が布陣する。
西軍の参謀格、大谷吉継は小早川の動向に不信を抱いており、その為の両面備えに此の四者を配置したのだが、選りによってその前面に高虎が布陣する事になり、しかも彼の手が回っているとは知る由もない。
戦いは始まった。
両軍の兵力に差はない。
東軍に属した織田豊臣系の諸将は、家康の目を背中に感じて奮戦する。
高虎もその一人だった。
一方西軍には陣を敷きながら参戦しない者が多くある。
最大の者は東軍左背後の南宮山上に布陣する毛利勢だった。
此れは吉川広家が本隊の前を扼する形で動かなかったせいで、当然本隊の毛利秀元の側にも迷いや同調する動きがあったのだろう。
つれて山麓にいた主戦派の安国寺恵瓊や、五奉行の一人長束正家迄動けなかった。
本隊側では島津勢が動かない、此れは岐阜城攻防戦で、島津勢の危機を見捨てて三成が退却したからとも言われたが、要するにここでも三成の人望のなさが響いていた。
結局彼らは西軍敗軍後の脱出戦が主となって、此れは“前へ逃げた”と語りぐさになる戦い振りになったが、無意味な消耗であったとも言える。
そして戦場を側面に見る山上の、小早川勢一万五千が動かない。
なのに、戦局は一進一退の互角であった。
すべての理由は山裾に展開して鶴翼の中に東軍を包み込んだ西軍の陣形にあった。
野戦の第一人者と目される家康が、知っていて此の罠に飛び込んだのは、よほど調服工作に自信があったのだろう。
その松尾山が動かない。
家康は焦った、危機感は頂点に達していた、このままだと逃げ方の算段が必要になる。
彼は発砲を命じた、松尾山に向かって。
それに呼応して秀秋は参戦した、東軍として。
その瞬間、天海大僧正が何処に居て、何をしたのか、
知る者がいる筈のないことであった。

大谷刑部は直ちに反撃した、望まぬ事ではあったが、備えはしていた。
山から駆け下りた小早川勢は押し戻されてしまう。
此の時松野道円は山上を動いていない、主君の命を無視して武士の、人間の一分を立てたのである。
高虎はそのすべてを見て取った。
「今じゃ、かねての合図を」
高虎の本陣の上に、高く大きく真っ赤な旗が振られた。
そして大谷吉継の予想しない事態が起こる。
対小早川に備えたはずの脇坂、小川、朽木、赤座勢が寝返ったのである。

三成の佐和山城を落とし、毛利輝元を追い出して大阪城に入った家康は戦後処理を始めた。
一番の減封はその毛利だった。
食言の大きさも、一番だった。
吉川広家が家康に通じ、関ヶ原でも毛利の本軍とその与力の長宗我部、長束等三万に近い軍を足止めにした条件は、毛利本家の所領安泰で、輝元が大阪城を明け渡したのもその条件が有るからだったのに、六カ国百二十万石の全所領没収のうえ、吉川広家に周防長門で三十七万石を与えると言うものだった。
結局広家が嘆願して、彼の分が毛利の領地として残される。
西軍の将で戦って死んだのは大谷吉継、平塚為広、戸田重正ら小早川の裏切りにあった右翼の勢でいずれも華々しく見事な最期だったが、残りの諸将は戦場を落ちて捕らえられ、主将の三成と、小西行長、安国寺恵瓊は斬首、宇喜田秀家は遠島、長宗我部盛親は所領没収。
裏切った小早川秀秋は筑前名島三十五万石から備前岡山五十万石へ、脇坂、朽木は所領安堵、小川、赤座は召し上げと明暗が分かれる。
そして藤堂高虎は小川祐忠の旧領を併せ二十万石に立身する。
一方加増の最大は蒲生秀行だった。
彼は宇都宮十八万石から元の会津へ、六十万石になって復したが、これは関ヶ原へ引き返した家康、秀忠に代わった家康次男の結城秀康を助け、対上杉戦線を守ったのだから当然とも言えるし、秀吉晩年の減封国替えの不当さを周囲が認識していたせいも有るだろう。
そしてもうひとつ、彼が家康の娘振姫の婿である事が大きかったのだろう。

此の戦はある意味では平地に波乱を起こしたものだった。
天下人が居なくなって、後継がはっきりしないのだから、乱は当然とも言えるが、大名のほとんどは、それを望んでは居なかった。
豊臣の平和、少なくとも国内の平穏無事と、桃山文化の花盛りには、異議申し立てをする者は居なかった。
だから去就に迷い、戦闘そのものは勇戦しても、どこか歯切れが悪く、時にはなあなあ的な雰囲気を感じる場面もある。
家康は事後に東西の色分けをはっきりさせた。
中立と認められたものはほんの一握り、没収出来るところは皆廃絶に追い込んで、論功行賞の資とする。
せっかく裏切ったのに割を食った小川、赤座等が好例である。
中に例えば川中島の森忠政のように、戦前はチャホヤしたのに、直接の戦いは無かったと言うことで、本領安堵と言う”恩典”だけで済まされた者も居る。
そして露骨な形には現れないが、最大の変化は豊臣家だった。
名目上の天下人が実質的には地方大名、摂津河内和泉三国六十五万石におし込められた。
全国に散らばっていた直轄領、飛び領等がすべて無くなったのである。
ただ、大阪城にあって秀頼の身辺に居た、いわば直臣格は家康の差配の範囲からは漏れるている。
そして家康は今度はその辺りに手を伸ばす。

「秀頼殿の廻り、心利いたものは誰かな」
家康は問うた。
「津田昌澄などもおりまするが、一番は、やはり摂津茨木の主、片桐且元でありましょう」と、崇伝。
「賤ヶ岳七本槍じゃな」
「さようでございまするが、肩肘はって世を渡るしか能が無い輩ではございませぬ」
天海が口を挟んだ。
「 石川数正よ 」
「はぁ、」崇伝は言い、すぐに頷いた。
「あ、なるほど、それが宜しゅうございますな」
家康、一瞬いやな顔をしたが、
「それでいくか、だが太閤ほど上手にやれるかな」と言った。
「やってみましょう程に」 崇伝が一礼して応えた。

石川数正と言うのは、嘗て家康の本国三河一円を預かっていた重臣で、徳川筆頭の家来であった。
政略軍略にも長け、家康や家中一統の信任厚く、小牧長久手の役では羽柴の三河切り込み隊を自ら追撃に向かった家康の留守を預かって、小牧山に立てこもっている。
そして織田信雄が屈服した後の講和談判には、大坂に乗り込んで秀吉と渡り合い、五分五分の勝負に持ち込んだ。
和平の標しに家康次男、此の時には実質嫡男の於義丸、のちの結城秀康が、秀吉養子と言う形で出た時も付き添って行き、豊臣徳川外交の第一線で奮闘していた。
そんな彼がある日突然、家康に断りも無く我が屋敷を引き払い、一族郎党を引き連れて三河を出奔し、豊臣の家来になってしまう。
度重なる秀吉との接触の間に、次第にその人柄に引き込まれて、此の方に己の未来を託したい、と思うようになって行ったのだった。
いきさつがどうであれ、秀吉の”人誑し”芸の極地を示した事件である。
最高指揮官、参謀長が昨日迄の敵に移籍する、徳川の軍制、編成ことごとくは秀吉の知るところとなって、家康側は大打撃を被ってしまったのだった。
今度はそのお返しをする。
つまり敵の中に味方を育て、いざと言う時に使うと言う策、戦場での裏切りよりも、もう少し手の込んだ仕掛けを埋伏する訳だ。
崇伝は戦さの結果飛び飛びに出来た摂津河内和泉三國内の欠地、つまり西軍に属した者の飛び領等を徳川の直轄地とし、豊臣家の片桐且元にその代官を依頼した。
基本的に此の三国は豊臣家のものだから、便宜的に頼んだように見えるが、もちろん代官としての給禄はある。
なんのことはない片桐且元は、大阪城の重臣でありながら家康にも属する形になってしまった。
一方で此の後に起きる大坂の役での豊臣方中心人物大野修理治長、淀殿の乳母の息子である彼は関ヶ原では東軍に属して戦って居り、且元の息子も東軍に居た。
また信長の弟織田長益、有楽斎も東軍で戦い、二条城の会見では秀頼に従い、後大阪城に入っているが、結局はまた去っている。
つまり合法的に両属し、結果的には風見鶏になってしまうのが多いのだが、片桐且元の場合には本人が良心的である分だけ悲劇も大きいことになって行く。
その辺りは錯綜していて、結局終始秀頼の側に仕えたのは、津田昌澄くらいと言うことになる。


  妖刀伝・外伝巻之弐  豊臣の世  (完)

明15日より巻之参  血・繋ぐ  を連載します。
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# by annra | 2005-08-10 01:00 | 外伝巻之弐 豊臣の世(完)

  妖刀伝・外伝巻之参 血・繋ぐ

 三ノ一 落城

「馬鹿者!。 押せ、おせえーいッ」
正則は哦なりたてた。
その頭の上から岩が降ってくる。
脇にいた雑兵の一人が、もろに当たって下へ落ちて行く。
「クソーツ」

岐阜城、織田信長の天下布武の城、天険である。
押せ押せで駆け上って、金華山の途中迄は取り付いたが、その後が一歩も動けない。
その時である。
「敵陣に乱れが見えまするッ」 「池田隊がッ」
「なにぃ」
がんばっていた織田の陣営が崩れた。「池田隊、搦め手より城内に突入!」
「何でもいい、こっちも突っ込めッ」

守将、織田秀信は追いつめられた。
天正十年のあの日、祖父と父を同時に失った、三歳の自分を立ててくれた秀吉に恩義を感じた彼は、信秀ではなく秀信の名乗りを受け入れ、此の祖父の覇城に封じられていた。
そして東西手切れとなった今、躊躇わず大坂方、西軍に属したのであった。
昨日は城打って出て野陣を張った。
篭城を主張する家臣もいたが、彼は一蹴した。
「我が父祖で此の城に篭城したものは居ない」
意気は盛んであった。部下は良く戦った。
しかし敗れてここに引き、今や天守のてっぺん迄追いつめられていた。

「秀則、こっちへ来い、腹を切る」
「承知ッ」
兄弟向き合って座る。
鎧を脱いだ。
その時だった。 秀則の真後ろの床が跳ね上げられる。
「お待ちあれッ、輝政でござるッ」
一人の武将が躍り出た、秀信に飛びついて腕を押さえる。
「仔細あってお手向かいしたなれど、此の城で三法師様が果てられるなど、あってはならぬ事、此の池田断じてお止め申すぞッ」
池田輝政は、信長の乳兄弟である勝入斎恒興の次男、長久手の戦の後は陣没した父兄の後を継いで、此の城の主だった事もある。
勝手知った搦め手から福島正則を出し抜いて攻め込み、今また秘密の抜け道から此の場へと踏み込んできたのだった。

降人となった織田秀信に対する徳川の態度は厳しかった。
だが、福島正則は断固として主張した。
「もし秀信に死を賜るとあれば、このたびの某の働き、すべて無になって御座る。左様に思し召しなればそうなされ」
事実上の戦線離脱宣言である。
家康は慌てた。助命の事を許した。
関ヶ原の戦が終わった後、秀信、秀則は高野山へと送られた。
秀則はともかく、秀信には終生出家が条件となっている。
信長の嫡流を断つのが、天下人家康の望みであった。

頭を丸めて僧形となった二人を乗せた駕篭の列は、木津川を右に見て進んでいた。
前後を厳しく固めた人数は先の合戦の立役者の一人、脇坂、朽木、赤座、小川などを寝返らせた論功行賞で、今や伊予半国二十万石の主である藤堂高虎のものであった。
行列が過ぎた後ろの木幡山には巨大な城の焼け跡がある。
関ヶ原の合戦の前哨戦となった秀吉の城伏見木幡城。
そして二つの駕篭が進んで行くのは、小椋が池を埋め立てた太閤堤、
豊臣の落日が明らかになった今も、光を失わない大工事であった。
その夜は玉水の宿に泊まる。
関白秀次が高野へ向かう際に泊まったのと同じ宿舎である。
ただ、二人の囚人に与えられた部屋は、下級のものだった。
そしてその秀次が泊まった部屋には、一人の大名がいた。
「若、出てはなりませぬぞ」
そう言ったのは、その大名である。
中庭を隔てて秀信達の部屋の灯りが見える。
縁に迄出れば顔も見えるかもしれなかった。
「わかっております」 
若、と呼ばれた少年は沈痛に答えた。
「貴方とあの方は血と因縁で繋がっているだけでは無く、父君を失う運命も同じでした。 それが今分れようとしています」
「はい」
「私はお父上の家来として貴方に尽くしました。ただ、あの方々を見舞ったのと同じ世の変転が私の立場を替えようとしております」
大名は少年の方に向き直った。
少年はその相手の顔を真正面から見、もの柔らかな落ち着いた視線を返した。
「高虎殿、今日迄の御養育、今更ながらの感謝の気持ち、変わる事はございませぬ。さりながら私にも公の立場と言うものが出て参りました」
「そして藤堂家にも天下に律して行かねばならない新しい立場と言うものがございます」
藤堂高虎は深くうなずいた。
少年は言った。
「本日は有り難うございました。三法師様を陰ながらお見送りした後は、思い残す事はございませぬ。私はもはや織田信重ではなくなりました」
少年は深々と一礼した。
「豊臣秀頼様御近侍津田昌澄、ただいまより徳川家康様が旗下、藤堂高虎様と、武士と武士としてのおつきあい、始めさせて頂きたく存じます」
「仰せの程、確と承りました。こちらこそ、改めて宜しくと申し上げる」 そして、
「少々お待ちあれ」 
高虎は立って部屋を出た、
そして一振りの刀を持って戻ってきた。
「この刀を進上仕る、否。お返し申し上げる」
「これはお父上より賜ったものにござる、信光と銘が御座る」

津田昌澄が大阪城へ、藤堂高虎が伊予国府の我が城へと別れて去った次の日、奈良坂を降りて行く駕篭を見守るまた別の目があった。
望月の里を降って柳生に出、同じく高野山へと志す、名越山三郎である。
胸の白木の箱には骨壺となった浅香荘次郎がいた。
彼等は駕篭についたり離れたりして高野迄同行する。
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# by annra | 2005-08-09 12:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ二 宗好上人

駕篭が上りに掛ったあと、山三郎は道を少し外れた、
「あの木は・・」
あの日、小畑数馬が秀次の前に飛び出して行こうとした木、
彼が間一髪抱きとめたあの木である。
暫く探して覚えのある辺りに出た。
「あれにちがいあるまい」
つぶやいて谷を渡り、茂みをかき分けて、それとおぼしき木の横に出た山三郎は一瞬、凍り付いた。
木の根もとに立っている人影がある。
群青の色の小袖を着ている。
それは、にっこりと笑いかけていた。
「数馬ッ、数馬では・」
次の瞬間にそれは膝まづいた。こちらを見上げている。やはり笑いかけている。
「あァ」
山三郎は肩で息をついた。
「佐助、驚かすでない」

山三郎が望月の里を出た後、すぐに白雲斎が佐助に向かって言った。
「行け、山三郎殿の供ではなく、浅香荘次郎殿のお供をして参れ」
才蔵も言った。
「高野山迄、せめてお納めする迄お送りせい」

駕篭が大門についた時、高野山からの出迎えは無かった。
しかし、応其上人は待っておられた。
新たな天下人に遠慮して青巌寺には入らせず、子院の一つを選んで、そこを仏弟子としての秀信の修行の場と定められた。
そして、その子院、天龍院の住持の名は宗好上人。
高野山に入った名越山三郎と望月佐助が、当然のこと宿坊として訪う目的地でもある。

政治犯である新弟子を迎えた宗好は忙しかった。
浮き世のしがらみがどっと流れ込んできた感じだった。
しかし彼は落ち着いていた。
彼の失われた過去から見れば、此の程度のことは幾らも起きていた。
応其上人もそのことを勘案してこの仕置きであった。
そもそも此の二人の運命を変えた大事件も共通していて、すべてはあの本能寺の変に始まったのだから。
だから秀信達のことよりも、同時に、かつ、突然に現れた、もう一組の客人の到来に彼は驚喜した。
だがその用件を知ったとたん、其れは深い悲しみに変わって行ったのだった。

数日がたった。
秀信達に得度を施し、居るべき場所を与え、新弟子としての日課を課して、少し落ち着いた時、住持は二階の角の部屋に居る山三郎達を訪ねた。
あれ以来の消息を聞く為である。
「これは、放っておいて失礼しました」
「いいえ、お忙しいところに飛び込んだ当方が悪いのです。ですが御山ではここにしかご縁が無い者ですから」
宗好は黙ってうなずいた。
「ところで、お二人は如何されておりますか」
「とりあえず、秀信様は宗信、秀則様は宗則と、仏弟子の形を整えて、こちらでお預かりすることになりますが、そのことよりも、一別以来如何されておりましたのか、積もるお話し、承りたいと思いまするが」
福島正則を襲ったあの時、山三郎と荘次郎はそのまま逐電した。
そして今、帰ってきたのは山三郎のみで、荘次郎は骨壺の姿、数馬も関ヶ原の野に果てたと言う。
住持にとっては悲しみを堪えて聞き糺さねばならぬ次第が山のようにある。
「こちらのお供の方は、」
「望月佐助、小畑数馬の弟にございます」
「ええっ」
宗好は驚いた。
改めてまじまじと姿を眺める。
佐助は丁度あの頃の兄数馬の年齢になる。
宗好住持の目の隅にキラリと光るものがあったかに見えた。
そして姓の違いの謂れを質して、二人の出性が甲賀の望月と判った時、おおきな衝撃が宗好をゆさぶった。
室町大名三好康長は、幕府御用の望月白雲斎を見て知っている。そしてその一統の実力についても詳しく知っている・・
その望月党が信長、氏郷の遺志を繋ぐ者に与力したと知った時、それが如何なる意味を持つのかも正確に把握出来るのである。

山三郎の物語は深更に及んだ、
「まだまだお話し申すべき事柄はございますなれど、早朝のお務めもございましょう、今宵はこれにて」
「では、また明日にでも」
山三郎の配慮に感謝して、我が室に引き上げた宗好は、しかし眠れなかった。
未だ関ヶ原迄の過程の半分も聞いては居ない。
その間の事情だけでも興奮して寝付かれない種々はある。
だが、宗好が気になったのは山三郎の様子だった。
なにか投げやりな話し振り、何かもの倦げな態度であった。
そして話の内容にも辻褄の合わないところがあり、論理的でないところがある。
あの一之橋で応其上人に対したときの問答の迫力のかけらも無い。
あの時。彼は「覇道を捨て王道につく、そしてすべての民草の平和に尽くす」と宣言し、そして天下の流れは概ねそのように動いたのではないか。
宗好住持は次の日、佐助を庭の隅に誘った。
そして率直に懸念を話し、何が原因かを探った。
「山三郎様はなすべきことをすべてなされました。そしてその結果としての、荘次郎様と我が兄数馬の死について責任を感じ、虚無感を抱いておられます」
「しかしいずれの死も戦でのこと、山三郎殿が責めを負うことではあるまいが」
「住持様は吉の因縁について、ご存知でございましょう」
「知らない、なんですか、其れは」

佐助の口から始めて吉の因縁を聞かされた宗好は、得心した。
今迄良く理解出来無かった話の筋が通るようになった。
「山三郎殿のお働き、天下万民のためのご苦労、よくわかるようになりました」
「そして、荘次郎殿、数馬殿の死の意味も、また山三郎殿の心の苦しみも」
佐助は応じた。
「覇道を捨て、王道につけ、外つ国を含めすべての民草の為に平和を、これが山三様が受け止められた信長様、氏郷様の御遺志です」
「そして其れらは概ねは成りました。御主君にして想い人なる氏郷様を亡き者に、と計った人達は報いを受けました」
「だが、」と、住持は言う。
「其れを実行した者達は栄えている。そして今度は信長様の血筋を絶やそうとしている」
「信長様と家康様は幼い頃からのつながりがあり、そして天下布武に無くてはならぬ同盟者でした。 ですがこと跡取りとなれば、家康様に断ち難い思いがあり、含むところがあってもおかしくはありません」
「信康殿の事だな」
徳川家康の長男信康は周囲の評判も良く、次代を嘱望されていたが、信長から武田に内応の疑いを掛けられて、自害に追い込まれた。
世間では、信長が信康の英明を恐れた、とも噂された事件である。
「しかし」 と、宗好は言った。
「其れは私の恨み、優れたものの血筋は必ずや後の世にもよい方へ、あらましき方向へと働こう、意図して絶やすことは、み仏のお心に叶うまい」
「そして理の通るところではありませぬ」
「理、か」
「理、」宗好上人は再びつぶやいた、そして
「徳川家康殿のお考え、同調することは出来ぬ」
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# by annra | 2005-08-09 11:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ三 新弟子

山三郎は姿が見えない二人を捜していた。
建物の中には居ないので庭へ出る。
向こう側の別棟は秀信達の空間だから、立ち入るわけにはいけない、
引き返して本堂の脇へ出ようとして、庭を掃いている二人の若い僧にぶつかった。
織田秀信と秀則、いや天龍院の新弟子、宗信、宗則であった。
人気の無い庭先のことである。
いやでも目が合ってしまう。
知らねばそれ迄だが、判っていればそうはいかない。
山三郎は自然に片膝をついた。目上に対する礼をとる。
「どなたですか」
秀信、宗信は穏やかに尋ねる。
山三郎は一瞬迷った。
だが素直に応答する。
「織田宗信様に始めて御意得ます。元蒲生氏郷家来、名越山三郎でございます」
「あぁ、お名前はよく知っております。 なにか御用でしょうか」
「いえ、格別には」 直ぐ思い直して言った。
「先の戦で亡われた者の供養に、御山に参っております」
「そうですか」
宗信、秀信は帚を置いて、合掌する。
まるで元からの坊主のように様になっている。
其れを見た山三郎のなかに何かがこみ上げてきた。 次の瞬間其れは燃え上がるものに変わる。
このところ腑抜けだった彼の心のなかで何かが弾けた。
”このままではいけない、此の定めは間違っている、ひっくりかえしてやる”

「当院お住持宗好様、ただ今のお師匠様でございますが、宗信様には以前からご昵懇でいらっしゃいましたでしょうか」 
と、山三郎は尋ねる。
「いいえ、このたび始めてお目にかかりました」
山三郎はズバリと言った。
「御祖父様にゆかりの方でございます」
「えっ」
「あの日、天正十年の変に由縁して出家なされたお大名ですが、」
「いったい、どなたです」 
宗則が息を弾ませて聞いてきた。
宗信も顔色を変えた、
帚を持つ手が震えていた。
だが、しかし その兄が弟を押さえた。
「お聞きせぬ方が宜い」
山三郎に向き直って、言う。
「今の私どもが知っても、栓ないこと、」

「私はあの方から云って三代目になります、そして太閤殿下の御蔭を以て生きてきました、このたび岐阜で死ぬべきでしたが、定めに導かれて生き延びてここに居ります」
じっと山三郎の顔を見つめる。
「わたしには、しなければならぬお務めがあります」
「はい、お手を止めましてございます」
山三郎は礼儀してその場を離れた。
宿坊の方へと戻りながら、山三郎は秀信の今の言葉と表情を思い出していた。
彼は世を儚んでは居ない、覇気も己の意思も失ったかに見えるが、人の世を見捨てては居ない。未だやり残したことがある、何かを伝えねばならぬことがある。ただ其れが何かを模索している者の目だった。
短いやり取りだが、話をしていて山三郎は彼の心、内面を覗いた気がした。
しなければならないお勤めとは何か、庭掃除か、
目の前に居るのは一人の敗軍の将、其れも元々何ほどの力も持たない豊臣の臣。
だが、わずかに残ったそのすべてを失った時、そして此のお山にたどり着いた時、彼は一つの解脱に到っている。
その彼の心が僅かに発している微細な光
それはあの時に受けた圧倒的なものと底通している。
庭の木の幹が立ち並んだ八角円堂の柱になって行った。
茂みの木々の緑が永徳の絵に見え始めた。
山三郎はその、何か、やり残した何かを模索する魂と一体化して行った。
其れは幼かったあの日、安土の天主閣で彼の槍の舞いに興じたあの英雄が、彼に託し求めているものに違いなかった。

「ああ、山三郎様が」
宗好と話し込んでいた、佐助が気がついて言った。
一方二人を見つけた山三郎だが、声をかけようとして、一瞬ためらった。
佐助は青い色の小袖を着ていた。
あの木の下で、数馬の着ていた青海波か、と疑ったあの衣装だった。
しかし今度の山三郎の目には、それが赤いもみじの柄に見えていた。
佐助がその小袖を着ているわけではないのに。
次の瞬間、かれはあの時の宗好を思い出していた。
もみじの小袖に着替えた数馬を見た時の三好康長を、

その夜、三人は宗好の部屋に集まった。
残りの物語をする為である。
すでに吉の因縁を承知した住持の理解は早かった。
そして山三郎が意気消沈して些か無気力な次第も飲み込めた。
話を終えたその山三郎が、ややけだるそうに問いかける。
「あのもみじの小袖、いまもございますか」

僅かながらでも秀次の口から謂れを聞いた者にとって、考えれば無意味な問いである。
数馬が着たあの衣装、宗好がどうこうする筈は無い。
住持は無言でうなずく。
「一度、佐助も着せて頂いたら」
山三郎自身、なぜそんなことを言出したのか判らない。
自身理解出来ていない事柄を口に出して居ることも、気にかけては居なかった。
ましてその結果何が起こるかと言うことなど、

何かが引っ張っていた、此の場の流れを、居るもの達の心理の綾を。
佐助は赤いもみじの小袖を着た。
宗好住持の前に立つ。
あの時の数馬がそこに甦って立っている。
山三郎は目が潤んだ。
高僧宗好も乱れた、墨染めの衣の袖で顔を覆う。
ややあって言った。

「もみじの小袖にまつわることども、お話し申し上げずばなりますまいな」
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# by annra | 2005-08-09 10:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ四 葛城小藤次

天正九年の秋、康長は吉野川の中程の砦に居た。
本領の阿波だが、土佐の長宗我部の勢いに押されて虫食い状態になっている。
「本来ならば大歩危小歩危のもみじを眺めて酒を飲むものを、無念なことではあるが、このままには済まさぬぞ」
「明年は叶いまする」
酒をつぎながら前髪の小姓が言う。
「小藤次はそう読むか」
「はい、来年辺りは織田信長様のお手がすきましょう」
「痴れたことを吐かすやつじゃ、よい、よい、杯をとらす」
「菊、注いでやれ」康長は横に居る愛娘に命じる。
「ありがたきしあわせ」
もみじの宴は進んだ。
そろそろ山を越したかと言う時に、康長は言った。
「小藤次、そちの舞いが見たい」振り返って、
「菊、あれを」

その宴の華はこの時の舞いだった。
菊姫から手渡された賜り物の小袖、もみじの柄に着替えた葛城小藤次は、「信長様にあやかって」と前置きして、華麗に敦盛を舞った。
人生五十年・・を自分の年齢十六に読み替えて、
そして「死のうは一定」 と高らかに謡って舞い納めた。
室町の文化直系の継承者、笑岩、三好康長の小姓に相相応しい所作であった。

銅鑼が鳴り響いた。
出航の準備が整った合図である。
二つ鳴ると乗船が始まり、三つ鳴ると、纜が解かれる。
ここは泉州堺の港、巨大な真っ黒い此の船は織田水軍の装甲戦艦鬼宿丸、黒い船腹の隠し扉が開いて、両舷三門ずつの国友砲が突き出ている。
艦橋に立って指揮をとっている九鬼嘉隆の姿が見える。
そして岸壁には、一群の美々しく勇ましく装った鎧武者を囲んだ、見送りの人々の姿が溢れていた。
「最早鎧兜とはお勇ましい限りじゃ、此の戦、勝ち戦と極まりてござるぞ」
「あいや、五郎左殿、我が領土に戻るとはいえ、織田四国陣の先鋒なり、と存じてな」
また一人の少年が進み出る。
「お父上、すぐにお後を追いまする」
「おお、孫七郎、頼んだぞ、そちの初陣よ」
康長の養子で信長旗下の武将羽柴筑前の甥、三好孫七郎だった。
天正十年五月の半ばすぎである。
四国の長宗我部と決戦の為に、いま大阪、堺には織田の軍勢が集結している。
その一翼である阿波の三好康長が、いま先駆けとして侵略された我が領地へ戻ろうとしていた。
一旦は大坂へ退いて、信長に頼った康長だが、未だ阿波の国の半分程は支配下にある。
その康長を見送りにと、主将織田信孝に代わって宿老丹羽長秀が出張ってきた。
丹羽五郎左の言う通り、今から鎧兜とは気が早い、
事実、主とその周辺の近習小姓馬廻りだけが軍装で、宿老と見える者達も未だ平装、
その康長の側に家臣が一人よってきて、何かをささやいた、
「なに、此の場で何用か、凡そ出る幕で無いぞ」
見やった彼方、男達の向こうに老女が一人かしこまっている。確かにこの華やかで緊張した場面にはそぐわない。
「よい、よべ」
「お運び頂きたいと申しておりまする」
額に皺を寄せた康長は
「ごめん」 長秀に挨拶して、そちらへ向かった、小姓が従おうとするのを、さっきの家臣が遮った。
「お人払いでござる」
老女が康長の耳に何かささやくのが見えた。康長、大いに驚いて何か問い直す。
それに対する老女の返事を耳にした彼は、驚愕の面持ちでこちらを振り返る、
老女もこちらに視線を向ける。
その視線の前に晒されたさっきの小姓の白い頬がさっと青白くなって行く。
老女は康長の一粒種、孫七郎の婚約者菊姫の守役で、小姓はご寵愛並びなき美少年、葛城小藤次であった。

康長は渦潮を見ていた。
鳴門海峡を見下ろす砦だった。
そして彼の頭のなかにも制御しきれない思いが渦を巻いている。
出帆前、堺の港で老女から囁かれた一言がその原因である。
”菊姫様ご懐妊”。
未だ婚礼も上げぬのに、と、一旦は孫七郎のことを怒った康長だが、真実を聞いて愕然とする。
「姫様が申されますに、父御は小藤次とのこと」
その時に銅鑼が二つ鳴った。
乗船が始まる。
馬廻りの者達に促され、桟橋を上る康長の頭の中は真っ白だった。
丹羽五郎左にも、きちんと挨拶したのかどうか。
もうもうとしたままに此の砦に入った。
小藤次は何時もの通り後ろに従っているが、顔は見なかった。見ることが出来ない。
だが、何時もの彼ではないことは感じ取れていた。背中からだけでも。
彼は晩年の娘、菊を愛していた。
其れは世の常の父親の誰とも同じく、誰にも劣らずに。
其れは血のつながった者、肉親への愛、家族への愛である。
一方、葛城小藤次に対する愛は違っている、其れは本来は肉欲に伴う愛である。
だが生殖行動に伴う肉の愛とも違っている。
其れ故に深くおぞましいもの、である場合も多い。
だが、この場合は少々違う、彼は小藤次の美貌をこよなく愛でた、
だが、彼がほんとうに惚れてのめり込んでいるのは彼の内面だった、或いは彼の未来、彼の可能性と言ってもよかった。
それは女色と少年愛との決定的な違いだった。

康長は吉野川沿いに進んで行った。
深く進んで既に三方は敵、長宗我部勢と敵に寝返った地侍達の構える陣だった。
しかし相手の動きは鈍い、大坂から泉州表に織田の大軍が集結して渡海の準備を整え、康長がその先陣であることを知って動きに迷いがある。
康長は手紙を書きまくった、窮地の敵将に片っ端から投降を呼びかける。
小藤次は覚悟を決めているようだった。
普段と変わらず、いや、常以上に康長の周りに気を配り、戦陣での務めにも励んでいる。
「小藤次、これを前野城の武永に送らせよ」
「はい」
目が合った。そらさずに見つめている。澄んだ目だった。
康長の方が先にそらした。
小藤次は手紙をもって駆け去った。
彼は思う。わしは二人ともに深く愛している。愛の形態は全く異なるが、その深さも瑱孜さも変わらない。
それ故に苦悩も深いのだ・・・
その時に何かが閃いた、それは神仏のご託宣か、と彼には思えた。
 なれば愛している者二人、愛し合っている者同士、結ばせればいいではないか、不倫を咎めることはこの際間違ってる。
そう気がついて楽になった、結論を得てほっとした。
織田信長様も冬姫を、十三歳の人質、蒲生氏郷とめあわせたではないか。
だが、一応は菊の到着を待って、本人にも問いたださねばならぬ条々があろう。

次の日、菊姫が到着した。
天正十年六月三日であった。
更に前進した川中の砦である。
去年、あの紅葉狩りを行った城だった。
”きっとあの時に二人は結ばれおったのだな” 康長は思った。
「菊をこれに呼べ、それと葛城小藤次も」
二人が相次いで入ってきる、さすがに表情が硬い。
人払いを命じて改めて二人の顔を見る。
姫はうつむいている、泣いているようだった。
小姓はきちんと前を見、こちらの顔を見つめている。
それは開き直ったものでも無い、かといって許しや哀れみを乞うまなざしでもない。
それは状況をありのままに受け入れて運命を待つ、いわば悟りを開いた僧の目だった。
康長は只一言言った。
「許す」
小姓は無言で平伏した。
始めて声を漏らした。嗚咽だった、姫のそれが重なった。
その時だった。
城のなかが騒然となる。
小藤次はさっと立ち直って外を伺う。
一人の老将が血相を変えて駆け込んできた。
「一大事出来にござるッ」
「なにごとかっ」
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# by annra | 2005-08-09 09:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ五 敗走

本能寺の件がほんとうと知れた時、砦のなかは無惨だった。
一握りの譜代の臣以外、与力として従ってきた者は皆逃散してしまった。

退却しか無かった。
それも出来るだけ早く、そして海を渡って。
三里も行かないうちに後ろに砂塵が見えた。
「武永か」
駆けて来る軍勢の意図は見えている。
それは降伏ではない、追撃だ。三好康長の首だ。
康長勢は逃げに逃げた。
だが、ついに追いつかれて合戦に及ぶ。
海迄は後少し、もう少しで吉野川の河口と言う辺りでだった。
康長は怒鳴った。
「わしがここで支えるッ、小藤次ッ、姫と落ちよっ」
葛城小藤次、 「ご主君を守るが小姓の仕事ッ」
康長、
「姫を守れっ、主命じゃ」
「川を下って海を渡り、織田信澄殿を頼れッ」
川船に二人押し込んで、流した後は大乱戦となった。
何度も死地に陥った、それを跳ね返して闘った。
そしてついに海へ出て船を得た。

呆然と、と言うよりなかった。
康長は頭の包帯を引きむしって捨てた。
四面敵の中を戦い抜いて、ついに海を渡って脱出してきた。
そして堺港に上がった康長の前に立っていたものが、これだった。
「なんと言うこと・・」
前にあるのは曝し首である。
“この者。謀反にんの一味・・”
高札には織田信孝の書き判があった。
「何と言うことを、」
康長は絶句した。

康長は槍を杖に、よろめきながら歩んだ。
何時しか一人きりになっている。
一緒に船に乗った五人ばかりも、この騒然とした町の様子に絶望して、どこかへ行ってしまったようだった。
彼は堺の屋敷を目指していた。
我が屋敷の前に立った時、彼は三たび打ちのめされた。
門が開け放されている。
誰も居ない。
中に入る。
略奪の後は明瞭だった。
茶人三好笑岩の屋敷は小さいが、堺でもちょっとしたものだった。
最初に水屋に行き、そして書院に廻る。
康長が収集秘蔵した名器は何も無い、箱書きが転がり、日用の陶器の破片が散っている。
そして脇の小姓部屋を通った時、一つのものが目に入った。
倒れた衣装箪笥だった。半開きの引き出しに赤いものが見えた。
康長はただひとつ残っていた、その小袖を手に我が屋敷を立ち去った。

「それがこの小袖、もみじの小袖なのですね」 お上人は頷いた。
「それで、菊姫様と葛城小藤次の消息は」 お上人は首を振った。

そして、宗好の、三好康長の長い物語は終わった。
お上人は仰向いて涙をこらえている。
シンとした静けさが辺りを支配する。
山三郎が目線を落として、ポツン、と言う。
「でも、小藤次が康長様の子を身ごもったのなら何となりましょう」
「え、」 「なんと」
宗好と佐助が、同時に言った。
山三郎は顔を上げて遠くを見た。うつろな眼差しだった。
だが、次第に頬が紅潮してきた。
「そう言うこともあり得る・・」

何日か経った。
宗好上人を導師として荘次郎を弔った。数馬の霊もである。
遺骨を奥の院に納め、木村由清の墓に寄り添って新しい墓標を建てる。
その間も佐助はもみじの小袖で居た。
季節は晩秋、合わないものではなかったが、
「思い出の籠った大事なお品、粗相があっては成りませぬ」
着替えようとした佐助を、宗好上人は制した。
「いや、そのままで居てくだされ、形あるものは必ず滅す、ものは自然に失われて行くことで宜いのでござる。ここにおいでの間は普通に、普段に着ていてくだされ」
そう言って目を細めた。
そしてそのまま、また何日も経った。
「間もなく冬が訪れましょう。私どもも御山を降りなければなりません」
「そうですか、お名残惜しい、また何時か会えるやら・・」
「はい、なろうことなれば」と、山三郎。
「ところで、あのお二方は如何なりましょう」
「秀則様には何れご赦免のこともありましょう、
ですが秀信様は終生当院でお預かりすることになるでしょう、 私の跡を継いでくださればよいのですが・・、」
「まあ、新弟子として修行を終えられたら、当面は今居られる処を少し手直しして中間小者をお付けし、心利いた寺小姓の一人も添わせて差し上げようと思っております。
未だお若いことでもありますし」
「そうですか」
山三郎はまた遠くを見るまなざしになった。この頃時々見せるうつろな視線だった。
止めどなく虚空に視線を漂わせながら、
「そのお小姓が信長様のお血筋を繋ぐ・・」

高野山を辞した二人は麓の九度山まで降り立った。
弘法大師が女人禁制の御山に入れぬ母親に会いに、月に九度御山を降りられたと言う、九度山である。
紀ノ川沿いの道を北に向かった時、向こうから行列が来るのが見えた。
来る時に見た秀信等の護送列と同じものだった。
「今度は誰だろう」
「真田昌幸様、真田信繁さまです」言下に佐助が答えた。
「紋所かなにか見えるのか」
「いえ、知っておりました、信繁様ご正室とそのお妹御琴路様もご一緒です」
「大谷刑部殿のお子達だな」 
「はい」
関ヶ原が終わったからと言って、望月佐助の情報収集力に陰が差すわけはない。
そしてこのまえ目の当たりに見た真田父子の戦いぶりに、すっかり惚れ込んでしまっている彼は、敗軍後の運命についても刻々と追っていたのである。

山三郎と佐助は、奈良坂の上で別れた。
山三郎は真っすぐ、都へ、阿弥陀寺へ。
佐助は右へ、柳生をへて望月の隠れ里へ帰る。
佐助は山三郎の姿が見えなくなる迄、じっと立って見送った。
山三郎は何度も振り返っては、手を振って居た。
佐助も手を振り返しながら思う。 “山三様らしくもない”
山三郎の姿が完全に見えなくなっても、佐助は立っていた。
もう物陰になった彼方で未だ未練がましく振り返っていた山三郎が、あきらめて真っすぐ北に向かうのを確かめおえて、彼は身を翻す。
右手、柳生道へではなく、元来た道へ、奈良を経て九度山へ、高野山へと。
”今は山三郎様はふぬけになっておられるが、でも、道筋はつけて去られた。後は此の私が真田様と組み、し遂げてみせよう”
“徳川様の鼻を明かし、此の國の未来の為に信長様の血を残す”
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# by annra | 2005-08-09 08:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ六 九度山の配所

お山に冬が来た。
雪が積もる。
そして正月が過ぎて寒さが緩む頃、織田秀則に赦免の達しが来た。
「ここに居る」と言う弟に秀信が説いた。
「定めに逆らうな、生き抜いて行け」と、

一人残った秀信、宗信の為に住持は二人の小者を雇い入れ、寺小姓を一人抱えてやった。
小者は三郎、四郎と言う兄弟で、
寺小姓は十六歳、名まえは宗好上人から小藤次と授けられた。
越前の出だと言うことで、御山に特に係累も無い。
綺麗な少年だったが、見覚えのある誰かに似ていることは無かった、
下膨れの曳く目かぎ鼻、置き眉をして十二単を着せれば平安美人と言った体だった。
そして名まえの由来を知っているものも無論居ない。
このまえ一人御山に戻って来た、望月佐助を除いては。
そしてその戻ってきた佐助を見たものは、宗好ただ一人しかいなかった。

御山の上、大門の先、深い森のなか。名残の桜がはらはら散りかかる。
月が輝いている。
高い高い高野槙の枝の先に。
そしてその下、そこだけ丸く開いた空き地に白いものが座っていた。
佐助であった。
着ている小袖は赤いもみじの柄、地面には一面の花びら。
みな月光を照り映えて真っ白く輝いている。
彼は前の闇を見つめてじっと座っている、もの音一つしなかった。
よく見ると唇だけが、わずかに動いている。
もし才蔵が此の場にいたら、闇にうずくまる黒い影も見え、佐助の台詞も聞き取れるのだが。
「では、すべての意思疎通は出来たのだな、玄武」
黒い影が答える。
「仰せの通り、望月五郎太夫様を通じ、真田信繁様御意を得ました。明夜お待ちでございます」

草庵、と言う言葉があるが、これはむしろ陋屋といったほうがぴったりだった。
大きさはそこそこあるが、古びて雨が漏っている。
これが信州上田城で徳川秀忠軍三万八千を食い止めた、真田父子の今の住処であった。
その虫食った枝折り戸の前に佐助は音も無く現れた。赤いもみじの小袖姿で。
その佐助をこれまた音も無く迎えた大入道がいた。
先祖、甲賀三郎を共有する真田譜代の臣、望月五郎太夫という。
「良く参られた、その節はのろしの合図ありがとうござった」
「お役に立ち、嬉しゅうございます」
「いざ、これへ」

真田昌幸、信繁の親子は並んで待っていた。
配所にあって訪れる者も無い二人に取って、来客は貴重だった。
しかも股肱の臣である望月の本家筋だといい、あの合戦の折りは手助けをしてくれた者だ、と言う話である。
「真田の大殿様、若殿様に始めて御意を得ます、甲賀の望月佐助と申します」
「うむ、そうか」
だが、二人は佐助がまだ少年なのを見て、奇異に感じたふうだった。
「あの戦のおり、川の堰を切る狼煙を上げたは、その方と聞き及んだが」
「はい」
「まことに良い時期を見計らった合図、感じ入ったが、どうしてあの場に居り、かつ加勢をしてくれたのか、わけを聴かせてくれぬか」
佐吉はかいつまんでその経緯を話す。
吉の因縁も含め、いささか長時間を費やして。
聞き終わった昌幸、信繁は暫く沈黙していた。
今聴いた事実を反芻し黙考している風だった。
やがて信繁が口を開いた。
「遅くなった。食事をして行け、あの時の話も、もっとしたい」

上田の戦いの思い出話はつきなかった、
当然、酒になる。
佐助も奨められてお相伴をする。
「おや、結構飲けるでは無いか」
「はい、これも術のうちでございます」
「何じゃ、それでは飲ますだけ無駄か」
「はい」
信繁は饒舌ではなかったが、良くしゃべった。
大殿昌幸は黙って聞いていて時々口を挟んだ。
大抵は機知に富んだ混ぜっ返しだったが、時折物事の核心を突く。
「まるでお前の話し振りは、自分が秀忠の本陣におったような、だな」
「おや、ご存じなかったのですか、私は暫時ですが、きやつの側に居りましたものを」
「知らんな」
「もう少しで討ち取った、とご報告しましたが」
昌幸は大杯を呷った。
「いくさ場では皆それくらいの法螺は吹きよるわ」

秀忠はカッカしていた。
押し出した前線部隊は壊滅している。
ただの敗走ではない、四分五裂と言った状態だった。
報告が錯綜し、本陣も混乱して幕僚たちも応接に右往左往のていたらくだった。
「すぐそこにっ」
「なにッ」  「騎馬隊ツ、」
「真田がッ、」「真田信繁がっ」
本多忠勝が走った。
「わしが出るッ、」秀忠は、我鳴った。
本陣は空になっていた。
床萓を蹴倒して立ち上がった秀忠に、後ろに控えた前髪小姓がすがる。
「暫く、暫くお待ちをッ」

「あの小姓、名は知らぬが良い家来であった」
「森川亀松と申します」
「なんじゃと」
「その場に私も居りました」
さすがの信繁も呆れた
「狼煙山のてっぺんから走って来たか」
「はい、どれが真の信繁様か、陰武者を見切るのに些か手間取りましたが、ご武勇のほどを拝見に」
「あのまま前に出おったら、その場で仕留めて決着致したものを、旨いところで止めおった」
「まこと、その通りにてございました」
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# by annra | 2005-08-09 07:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ七 血

大いに放談し、大いに食った。
酒の蓄えも無くなった。
さて、と言って、信繁が改まった。
「戦の物語も概ねつきた。夜も更けたが、肝心のその方の用件は未だであったな」
「はい」
「では聴こう、先ほどの話の名越山三郎、その配下の甲賀忍びが、暮夜密かに我等に会いにくる。並みの用ではあるまい」
「はい、些か込み入り、些か風変わりな御願いにございます」
「今の我等に出来ることならば、」
「ちょっと、待て」
大殿が口をはさんだ。
「佐助とやら、我等徳川に逆らい、かつ長子信幸の口添えで命長らえてここに居る。よって一応命は大切にせねばならぬ。と、同時に家康に敗れて下ったわけでもなく、従ったわけでもない、わかるか」
「はい」
「わしの言ったことを頭に置いて、その一風変わった願いを申せ。
 もしくは黙してここを去れ」
佐助は一瞬黙った。そして口を開く。
「ただ今高野山上には織田秀信様、ただ今は出家なされて宗信と申され、天龍院宗好上人新弟子としておいでにございます」
「知っておる」
「徳川家康様のおつもりは生涯出家、不犯、にございましょう」
「そうであろうな」
「即ち織田信長様嫡流の根絶やし」
「うむ」
「処でただ今申し上げました天龍院住持宗好上人の、在家の頃の御姓名、ご存知でございましょうや」
「知らぬ」
「もうひとつ、関ヶ原にて敗軍の土佐の長宗我部盛親さま、ただ今は京に居られまするが、御本国土佐には未だ一領具足の衆もおいででございます」
「それで」
「先の戦にて大谷刑部様ご無念の御討ち死に、信繁様ご内室及び御妹琴路様には、さぞ徳川にお憎しみ深きことと存じ奉ります」
佐助はそこで一息ついた。
「その方、謎掛けを致し居るな」
「はい」
信繁は佐助を睨み据えた。目が爛々と光っている。
暫くして口を開く。
「宗好上人の俗名は知らぬ、また長宗我部殿がどう関わるのかも判らぬ、
なれどそなたの画策、徳川の意向に逆らって、もしや織田信長様の御血筋を大谷家の上に繋ごう、と言うものではあるまいな」
佐助は平伏した。内心でやはり鋭い、と思う。
「はい、ご明察の通りにございます」
信繁は昌幸の方を見た。
昌幸は首を振った。そして言った。
「佐助とやら、秀信殿は山を下りてこの方へ参られるのか」
「いいえ」
「ではどうする、御山の女人禁制は」
「宗好上人より寺小姓をお付け致します」
「寺小姓に化けるか」
「はい」
「子は出来てから生まれる迄十月かかるぞ、どうやって隠す」
「お種を得ましたらすぐ下山致します」
「宗好上人、どなたかは知らぬが、御同心であるな」
「はい」
「では、秀信殿も同心じゃな」
「いいえ」
「それでは、まるで、話に成らぬではないか」
「寺小姓は私相務めておりまする」
そう言った佐助は頭を上げた。
両手を前に突き出した。
すッとひくと、顔を拭った。
「ああっ、これは」
そこにあった顔は大谷琴路、真田信繁義妹の顔そのものであった。

その晩は結局夜を徹して討議となった。
望月五郎太夫だけでなく、玄武、朱雀が家の廻りの見張りにつき、警衛する。
真田父子の配所ならば、服部半蔵の手の者が隠れていても不思議は無い。
父子は三好康長とは面識が無かった。
だがその名も事跡も当然に承知している。
その康長が高野山一院の住持であり、この企てに加担、推進していると知って、大いに力づけられる。
そして、
「長宗我部どのには、何を頼む」
「めでたくお種を宿されました暁には、この辺りにおいでになってはいけません、長宗我部様にお願いして土佐の一領具足、豪農にして武士の然るべき者のところへお隠れになり、お子をお育て頂くが良かろうと存じます」
「なるほど、道理じゃ、彼らなれば経済力もあり、徳川の息はかかっておらぬ」
「そうして今現在の、徳川家来の領主山内とも、着かず離れずに自立しておる」
「その山内一豊様でございますが、」
佐助は数馬から聞いた話をし、また数馬の最期との関わりも話した。
「ふむ、確かに彼は家康に取りたてられたが、元々は信長様の臣、まして信長様の形見の短刀を秘蔵するとあれば、万一の場合助けになろう、土佐にお隠しするは良策じゃ」
夜が白み始めた、
徹夜になった。
昌幸信繁ともにいささかの衰えを見せず議論を尽くした。
戦場往来の気力体力は未だ衰えていなかったが、それよりも家康の企てに一矢報いる興奮が、彼らを駆り立てていた。
「今、ここで秀信様のお血筋を残しても、其れが今直ぐどうと言うことではあるまい、しかしながら日本國の将来の為に信長様と言う英傑の血を絶やさぬようにする意味はある」
「血統と申します、親子兄弟、同じ血を引いても暗愚もあれば英明な者もいます、しかしながら優れた血は幾世代を越えて広がり、世を正しく美しい方向へと導きます」
「まるで高僧のお説教を聞いておるようだな」
昌幸の殿が笑って言った。
「これは理と申すものでございます。我等望月の党を律する自然の法則の一つ」
「理、か、」信繁は考え深そうにつぶやいた。
「はは、理屈はともかく、織田の嫡統を根絶やしにしようと言う家康めの企てに逆らって粉々に砕いてやる。其れは其れでよいではないか」
昌幸は豪快に笑った。
「封土や位階を繋ぐための血ではない、個人の資質、能力、更にそこに至る迄の累代の知恵の積み重なりを、後の世に伝える為には血が必要だ。吉の因縁とやらもそれを望み、そのように働くのであろうが、 
英雄織田信長の血は後世に伝えねばならぬ」
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# by annra | 2005-08-09 06:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ八 掛け布団
 
夜が明けて御山に戻った佐助は宗好に報告する。
「ご苦労でしたな、ゆっくりおやすみなさい」
「いえ、宗信様の元へ戻ります、わたくしはあの方のお小姓でございます」
佐助は住持の用で、九度山へ行ったことになっていた。
あのとき、ひとり御山に戻ってきた佐助を迎えて、宗好は驚いた。
自室に居た時、突然目の前に現れたのである。
「山三郎殿に、なにかあったのですか」
「いいえ、奈良坂でお別れして私のみ戻って参りました、 お上人に折り入ってご相談の一事がございまして」
「なんでしょうか」
「信長様お血筋のことにございます」
上人は佐助の顔をみつめた。
立って障子の外を確かめる。
座り直して再び佐助の顔を見、そして言った。
「お聴きしましょう、私も佐助殿に話したいことが、いや、望月の力を借りたいことがあります。多分全く同じことがらで」
その密談は早かった。
双方の思いは始めから一致していた。 
後は手段の細部の調整だけであった。
宗好上人との密議を終えて佐助は言う。
「こちらへ参りましたこと、誰も知りませぬ。そして此の後もお上人以外の方には、我が姿が見えぬように計らいます」
そこから消えた佐助はその足で京へ走った。
京の手前で山三郎を追い越して、上京で寺子屋の師匠をしている長宗我部盛親に会って、道筋を付けてきた。
宗信についた寺小姓、宗好が名付けた小藤次の実態は望月佐助、
その見た目姿形は大谷琴路そのもので、小者二人、三郎、四郎の上につく名は、朱雀と玄武、 即ち佐助の腹心の部下たちである。

小姓と小者二人をつけると言う話を秀信、宗信は始め辞退した。
「これから未だ仏弟子として修行しなければならぬ身、そのようなお計らいはご無用かと存じます」
だが、師の御坊の言われるには、
「貴方を特別に扱うわけではない。確かに貴方は特別な修行者ではあるが、何れは私の後、当天龍院を繋いでもらえたら、と思っている」
「それゆえに、私の思いをうけてほしい」
宗信にはその意味が飲み込めなかった。
だが逆らうのはやめた。
「お住持様の仰せなれば・・」

始めてお目見えに上がったその小姓は、かわいらしかった。
丸顔で、ぽっちゃりとした女顔だった。
ついてきた下働きの二人は、正反対の屈強な中年男である。
秀信の殿の時代、かれは勿論選りすぐりの美童に囲まれている。
そして太閤の時代、少なくとも国内的には平和な時代には、美女に囲まれることも可能であった。
秀吉はその方だし、祖父のように戦陣を駆け回るのが日常と言うわけではないので、欲しいままに女色を楽しむことも出来た。
ただ時代の趨勢、常識として賢くて美しい少年を愛し、枕頭に奉仕させることも当たり前のこととしてあり、秀信にも覚えはある。
高野山は女人禁制、しかも弘法大師以来の遺風として、美しい寺小姓は各坊に居る。
宗好の天龍院だけが例外の感じだが、その理由がもみじの小袖にあることは、この前いわれを聞かされた、山三郎と佐助くらいしか知っては居ないことだろう。

宗信は小藤次を日用に召使い、その気立ての良さが気に入った。
何となく、何処とも無く気が合った。
内心は寂しい、人恋しい宗信は、次第に小藤次にのめり込んで行った。
そして自然に夜のことが始まる。

宗信は小藤次を湯屋へ誘った。
小姓が主人の背中を洗い、湯上がりの世話をするのは当たり前、だが宗信はその前に小藤次を丸裸にして慈しむ。
平等に、余すところ無く。
折から夏の暑い日が続き、御山の夜も昼の熱気がなお残っているが、床入りとなると小藤次は恥ずかしがって駆け布団をかぶろうとした。
布団のなかで覆い被さって、膝の裏に手を掛けて股を割く。
くぐもった細い声を残して顔を背け、身を捩らして痙攣する中に突入すると、短い絶叫を発してはのけぞって、秀信の果てるのと同時に崩れ落ちた。
彼の経験では同時に果てるのが多い、だが小藤次はけっして漏らさず、其の癖きっちりと念者にあわせて終末を迎えていた。
宗信は小藤次に溺れた。
そしてそのことに気がついて、無理矢理自制を働かして三日に一度と回数を決めた。
だがその分それは濃密な媾接となり、そのおりの無我夢中の度合いはひどくなる。

秋になった。
涼しくなったが、そのせいでもなく、小藤次はそれの際に掛け布団を求めた。
月が出て部屋うちが明るくなると、なおさらだった。
その時の己の姿を極力隠したがっていた。
少し極端だったが、宗信はそれを許していた。
そして寒くなった。
小藤次のもとめで宗信は大きな布団を準備した。
絡み合う二人丸ごと、頭からすっぽり冠ってしまえば、なにも見えないし寒くない。
小藤次は少し大胆になったようだった。
今迄と違った体位を取るようになった。
後ろからで無く、前から突き抜かれることを望んだ。
そうしてその夜が来た。

その夜も何時もと変わらず、始めのうち格別のことは無かった。
宗信は腰を動かした。
前後に、調子を取って、浅く深く。
小藤次はそれに反応して痙攣し、くぐもったよがり声を漏らしている。
何時もより締め付ける力は弱いが、ぬれぬれとした感触は心地よかった。
このところ何時もこんな感じだな、と宗信の痺れた頭が感じていた。
以前とちょっと違うが、これはこれで悪くない。
これはこれでもうひとつの快楽だ。
それ以上の論理回路は働かなかった。
宗信は小藤次の上に倒れ込んで果てた。
そしてその次にそれがおこったのである。
宗信はもうもうとした感触のままで身を起こした。
半身を起こそうとして手が滑った。
仰向けの小藤次の胸に手をついた。
「ウッ」小藤次は呻いた。
突いた手の下にあったものの感触は、小姓にはあり得ないはずのものだった。
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# by annra | 2005-08-09 05:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ九 塩袋

「私は種馬ではない」
宗信はきっぱりと言った。
怒気は含んでいない、だが断固とした物言いだった。
上座には宗好が、下座には佐助と琴路が座っている。
琴路は泣き崩れて居る。
が、佐助はきちんと座って、真正面から宗信、秀信の顔をみつめていた。
それはもう望月佐助の素顔であり、大谷琴路〜小藤次の顔立ちではなくなっている。
佐助は秀信の瞳をみつめながら、きっぱりと、
「これは関ヶ原西軍生き残りの復讐劇ではございませぬ、また封土や位階を繋ぐための血のつながりを求めるものでもございません、
偉大な血は、幾百年の後に世に現れて、この國を正しき方に導きましょう。その時が徳川様の世であろうとなかろうと、新しき世が開け民草が潤う。
すべての人々の為に、すぐれた資質は後世に伝えねばいけないのです」
宗好が口を開いた。
「英雄の血は残さねばならぬ、それが人の務め、み仏の御意思」
彼は宗信に向き直った、目をつぶり、両手を合掌して数珠をまさぐった。
「お師匠様を始め、皆の計らったことの趣意、相判りました」
「ただ、感情として許すべからざるもの、はなはだ不愉快なものを感じます」
「今後、このようなこと、ご無用にお願いしたい」
「大谷琴路殿に御願い申す」
「某との契り、或いは皆様のお企みが成っておるやも知れぬ。もうこれにてお会いすることは無いが、若しもそのようであった場合、必ずよしなに頼み参る」

雪の緩むのを待って、琴路は山を降りた。
寺小姓小藤次の姿でだった。
小者の三郎、四郎、すなわち朱雀、玄武が護衛して一旦九度山の真田屋敷に戻る。
佐助は手の者を展開して残る手だてを完結する為に動いていた。
すなわち長宗我部盛親より土佐の在所に手を回して、琴時の落ち着き先の手配をする。
長宗我部の覇業を支えた、所謂一領具足の豪農豪士達の中から、才谷と言うところの坂本家が適任であろうと言うことで選ばれた。
身分素性は隠して、ただ赤子を無事に生み、無事に育てて後の世迄その血筋をつなげるように計ってほしい。
旧主の密かなる願いを受け入れた当主は、一族を挙げてその企てを守ることを誓ってくれ、案内の者を阿波迄差し向ける、と約してくれたのである。

そして春、花の咲き始める中を四国へと向かう。
既にこの作戦の成果は彼女の胎内に宿っている。
朱雀三郎、玄武四郎は姫の表の供として従って、青龍太郎、白虎次郎が陰守り、甲賀の四神と望月佐助が挙げて警護についている。
普通に見ればただの女の一人旅、だが、その出たところが九度山、真田の配所から。
しかも見えぬところでは、此の厳重警衛。
これは、思いがけないところで、かえってまずい結果を引き起こす。
すなわち時折見回りに来る伊賀者の一人が不審を抱き、服部半蔵の元へと走ったのであった。

「なんと、四神がすべて付いておると、」
半蔵は考え込んだ。
「頭は望月佐助」
「そこ迄の警護を要する女、大谷刑部殿の娘御と言うだけではあるまい。どこへ行くのか、何が目的か、更に調べて参れ」
「ああ、それだけの相手だ、万一に備えて手だれを十分に連れて行け」

琴路一行は堺に入った。
便船を待って渡海する。
その夜、港の側の宿で次郎が気がついた。
「おかしい」
言葉を発したのはそれだけだったが、佐助を含む五人はすぐに会話を交わす。
「だれかつけておる」「これは、どうやら伊賀者だな」「九度山で見られたか」
「何人かだな」「十、いや九人」「どうする」
佐助が指示を出す。
「構わぬを第一、知らぬ振りをして穏便に済ます」
「絡んできたら」
「海に放り込め」
「塩を付けてな」

此の遭遇戦は伊賀の指揮者がとんまだった。
護衛されているのが大谷の姫。段取りを付けた船の行き先は阿波、そこ迄調べが付いたのだから、そのまま尾行すればいいものを、三郎が一人で居るところを見て、何の為に、と言う目的を知りたくて、九人掛かりで襲ったのである。
琴路は堺が始めてだ。
頼まれた三郎は、舶載の白粉を求めに出かけていた。
京に迄知られたその名品を手にして戻ってきたのだが、宿の手前の暗がりで奴らが掛かってきた。
目撃者はむろん無い。だが、
黒いつむじ風が舞った。
砂埃が吹き上げた。
続けざまに水しぶきが上がった。
九回だった。
並みの者が見ていたら、このようにしか感じられなかったろう。
三郎を尾けている連中の一挙手一投足は、四神の残りと佐助の目が追っている。
三郎の廻りから一斉に襲いかかったつもりの九人は、後ろから伸びてきた手に捕まえられて、あっという間に海に投げ込まれた。
いきなり四人が、そして振り返った四人も次の瞬間ほうりこまれた。
先頭に立って三郎に飛びかかった指揮者は、逃げる間もなく取り押さえられてこれも放り込まれる。
しかも彼だけは特別に、何かをしょわされて。

「此の間抜けども」
半蔵は言った。
静かな口調だった。
逃げて帰った連中は震え上がった。
首領の怒りは本物なのだ。
「余分な手出しをして、平地に波乱を起こしおって、」
「あまつさえ、塩俵をしょわされて放り込まれるとは」
伊賀の指揮者も水練には達している。
だが、重い塩入の俵を絡げられては沈んでしまう。
彼の手練の縄抜けの術が先か、塩が溶けて無くなるのが先か、
それとも間に合わないか。
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# by annra | 2005-08-09 04:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ十 廃砦

不測の事態に会った一行は、予定の便船に替えて新たに船を雇い入れた。
目的地も変えて鳴門の渦潮の手前に上陸する。
そこでまた小舟に乗り換えて少し戻り、今度はそのままま吉野川を遡った。
何れにしても伊賀の忍者は追ってくる。
こちらの足跡は必ず捕まえるだろう。
だがそれを少しでも遅らせ、韜晦する為の行動だった。
だがこちらにはひとつ弱みがあった。
長宗我部盛親が手配した、案内の者と落ち合わねばならない。
河口から暫く上った中州に姫を隠し、四神を守りに付けて佐助だけが先行し、約束の場所に向かった。

それは吉野川縁の崩れた砦址だった。
元々大きなものではない。
櫓が倒壊し小さな本丸の建物が傾いて残っている。
十数年も前の何かの合戦で急造され、間もなく廃棄されたと言った雰囲気だった。
重い雲が垂れていた。そして春とは思えぬ寒い風だった、
倒れた井櫓に腰を掛けてその男は待っていた。
約束の日時を違えずに。
若い男と言うことだった、その通りだった。小柄でむしろ少年と言える。
佐助は姿を隠したまま問い掛ける。
「大溝」
相手は驚いたようだった。立ち上がって廻りを見まわした。
佐助はもう一度発声する。
「大溝」
彼は周囲をもう一度見直した。
判らぬまま、空耳でないと信じて答えを返す。
「安土」
「坂本」今度はすぐに答えが帰ってきた。
「長浜」
佐助は姿を現した。驚かさぬように彼の後ろに現れて声をかける。
「坂本季孝どの」
振り向いた相手は落ち着いていた。
「望月佐助殿か」

今宵はここで明かすことにして、傾いた建家に入り、琴路と四神を呼び寄せて火をおこした。
坂本季孝と言う此の少年は当年十八歳、長宗我部盛親の小姓として関ヶ原に参陣した、と言うことだった。
そして盛親からの密命を受けて、土佐の自家への案内役としてここへ来たのである。
「才谷と言うのはどんなところです」
「いいところですよ、冬は暖かく夏涼しくて、山の緑と清流に囲まれた美しい里です」
「桃源郷ですな、代々そこにお住まいで」
「はい、」と言って、季孝は少し口ごもった。
「私はそこの生まれではありません」
「おや、ではどちらで」
季孝はまたもや少し沈黙してから言う。
「それが、よくわからないのです」
「え、」
「私はじつは孤児でして、坂本の今の親に拾われて育てられたのです」
「十八年前この辺りで合戦がありました、天正十年の本能寺の変のおり、逃げる織田勢を追っていた父が、多分まさにこの辺りだと思うのですが、わたしを拾った。と言うよりも虫の息だった私の母から月足らずの私を取り出した、と言うことです」
「それで私は此の通り今でもチビで、ただ父母から授かった姿形を愛でられた殿様からお引き立てに預かったのです」 
「こんなことは初対面のお方にお話しすることではないのですが、母親はあの時の敗軍の織田方の中に居た。これは凡そ間違いないことなので、上方の方、織田となにがしでも所縁の方と見れば、身の上話を申し上げるのです」
佐助は息をのんだ、
だが質問は飲み込んだ。
“お父上はどうなされたのか”と、もう少しで聞くところだったのだが、
彼の警戒機能にそのとき何かが引っかかって来たのだった。
脳の中で警報が鳴った、 それは最大、かつ緊急の危険を報じて居る。
既に四神は構えていた、 
琴路を中に挿んで。
坂本季孝少年の動きも素早かった。
佐助達と同じものが、彼に感じられたはずは無い。
だが四神の動きを見て、彼自身も琴路のまえに張り付く形で配置についていた。

「きたな」
「またか」
「しつこいやつらだ」
此の会話は季孝少年には聞こえない。
ただ漆黒の闇と静謐があるだけだ。かれには。

次の瞬間、火花が散った。
季孝には雷鳴が轟いたように思えた、が、じつは何の音もしては居ない。
そして地面に何かが転がった。音を立てて、いくつも。
星明かりでキラッツと光ったそのものは、抜き身の刃としか思えなかった。

「さすがに鮮やかな手並みだな」
低い、良く通る声がした。
琴路にも、季孝にも聞こえる普通の声、
「針だ、半日で戻る」 これは佐助だった。
だが、それが何処から聞こえて来るのか、は判らない。
「未だしっぽは掴んでおらぬ、 だが、なるほど甲賀の四神を率いて望月の若がお出ましとあれば、これは見過ごしには出来ぬなぁ」
「服部半蔵殿ご自身ですな」
「然様である」
半蔵は姿を現した。
忍び装束ではなかった。
おなじ茶がかった色相だが、それは裃袴姿に草履履き。
平時登城の武家の姿である。
大身とも見えるそのお武家は、鬢に白いものを混じえていた、
そして真っ暗闇の中のそこにだけ光が当たったかのように、はっきりとした形を示して立っている。
応じて佐助が現れた、四神も。
佐助は先ほど迄とおなじ身なり、だが青龍太郎以下は黒装束。
そしてその四人は宙に浮いている。地面から四尺ばかり。
季孝は琴路を後ろにかばいながら、息をのんだ。
四神は菱形の陣形を取って前に出た、朱雀を先頭に、右青龍、左白虎、後ろ玄武。
腕組みをしたまま、開いた足もそのまま動かさずに前に出てくる。
琴路と少年はその菱の陣の中心に取込まれた。
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# by annra | 2005-08-09 03:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)

 三ノ十一 重力の障壁

「鉄壁だな」
半蔵の声がした。声に揶揄って居る調子は無い。
「いや、感心致した」
半蔵は退いた。いいや、そうでは無くて縮小し出したのだ。
その場で、その姿のまま。
「危ないッ」佐助の声が飛んだ、それより早く四神は行動する。
だが、
「これで如何かな」 半蔵が言った、
心なし息を切らせて。
「では、佐助殿」 もとの大きさになっている。
「何故の此の動きか、真田のもとから大谷の姫を護送する、訳を聞かして頂きたい」
佐助が答える。意外にのんびりした口調で、
「それよりも何をなされた。後学の為にお聞きしたい。いや、成ろうなら、ご伝授頂けませぬか」
「弟子入りなされるか」
「次第によっては」
「重力の障壁で御座る、ものは下へ落ちる。四神は地に落ちた状態、此の障壁の中にある限り今は横には動けぬ」
佐助は青龍達を見やった。
一見そのまんま、何も変わってはいない、脚が地に着いているくらいが、さっきとの違いだった。
だが彼らが必死にもがいているのは伝わってくる。
「金縛りの大きなものか」
「そのようだな、身体の大きさにぴったりの、見えぬ壁に囲まれておるのだ」

「これ迄明かしてご伝授致した、ではお答え頂こうか」
「はは、すべて、私が出来るところ迄お教え願えれば」
「・・・・」
半蔵は前に出てくる。ゆっくりと、滑るように
「捕らえて、吐かす迄のこと」
佐助は下がった。
半蔵は間合いを詰めてくる。
ジリジリと下がって行く佐助の背中に何かが触った。
「そこにも、壁はある」
もう下がれなくなった。
半蔵は迫った。
両の手を伸ばして佐助の頚を掴もうとした。
そしてそのまま動かなくなった。

「二度目でござるな」
声がした。
「あぁ、兄上」佐助は力なくつぶやく。
醜態を見せた、限界を見せた、但し助かった。
半蔵の後ろには、才蔵が居た。
短い手槍を持っている。
それは半蔵の首筋に擬されていた。
「前田邸天井裏以来のご無沙汰でござった」

半蔵の降伏を入れて手槍を納めた。
こう言ったとき、見たものすべてを忘れるのは、忍び同士の掟だった。
半蔵は追跡をやめ、今迄の記憶を消す。
倒れた手下達は、四神の指にはめた毒針の毒で一時失神しただけで、やがて戻る。
才蔵は四神の方を見た。
未だもがいている。
半蔵が気がついて、術を解こうとする。
それを押さえて才蔵が四神達に呼びかけた。
「此の間抜けども、」
青龍が忍びの発声で答えてくる。
「申し訳ござらぬ」
障壁の中からは、並みの声では届かない。
「そうではないのだ、」
「このまぬけども」 同じことを才蔵はまた言った。少し笑いを含んでいる。
「此の間抜け、動けぬのは横へだけだ。上へ跳んで逃れろ」

旅は終わった。
一行は季孝少年の案内で土佐の國才谷の郷へ入った。
坂本家は確かに豪農だった。
長宗我部家の勇士であった季孝の養父は、初老の日焼けした顔に笑みをたたえて迎えてくれた。
「詳しい経緯はお聞きせぬ約束でござる。ここへおいでになった以上、此の家の者として安らかに日々をお送りくだされ、一族を上げてお守り申す」
「有り難うございます」
「御願いの儀はただひとつ、おなかのお子のお血筋を永世に渡って繋ぎたい、此の一事にあるのみでございますれば、その余の事はどうぞこちら様の宜しき様にお計らい願わしゅう存じます」
奨められるままに何日か逗留して疲れを癒す。
彼らにとっても、あの二度の立ち回りのような事は、そうそうない。
才蔵はあの場から消えたが、佐助は心理的に少々打撃を受けていた。
やはり兄には敵わない。
だが、それはそれとして、あのことは訊いておかねばならぬ
そして明日は帰る、と言う夜の小宴で、彼は気にかかっていた質問を口にする。
季孝少年が拾われたと言う、戦のおりの事どもである。
「季孝どのの前でお尋ねするのは、些か酷な事でございましょうが、お母上はどのようなご様子でございました」
「うん、これには既に話したこと故、御斟酌には及びませぬ、あれは・・、」
総崩れになって逃げる織田勢の追撃戦の中で、ある砦の中で倒れている女性を見た。
身なりから言って、姫と呼ばれる身分に見え、未だ息はある。
「それゆえ、近在の農家に運んで、隠れておった老夫婦に介抱するように命じ、そのまま進撃したのでござる。そして織田を海に追い落とした後、凱旋の途上そこへよったところ、これが生まれておったのでござった」
「お母上は」
「母は、既に亡くなっておった。月満ちる前のこれを生んで亡くなっておった」
佐助は腹をくくった。
聞くべきことを訊かねばならぬ。
「その戦、織田勢と言うのは三好康長様ではありませぬか」
「そう、三好康長とその与力衆であった」
「もしや、もしやお母上の側に誰かご家来が、例えば小姓衆のような」
老人は不思議そうな顔をした。なぜ知っている、と言いたげだった。
「姫の側には小姓が一人死んでおった。姫を守って討ち死にしたようであった」
佐助はつばを飲み込んだ。
大きく息を吸い込んでから、季孝の方に向かって座り直す。
「その方がお父上でございます」

佐助は知っている事をすべて語った。
宗好上人から聞いた話の全部だった。
それは老人の記憶と細部迄符合した。
多分、康長が海に着く前に二人は死んでいた。忘れ形見を残して。
「あなたのおじいさま、三好康長様のことは此の琴路様もご存知、こたびのことをお計らいになりました、」
「そして今もご健在です、高野山に居られます」
それに対して目を真っ赤にした季孝は答えた。
「有り難うございます、本来の身元が分かっただけで、私には充分です」
「私は此の家の子、坂本の跡取りでございます、敢えてお会いすることはございませぬ」

次の日、佐助達は発った。
朱雀が暫く残って後を見守ることになる。
佐助は九度山へ寄って無事琴路を送り届けた事を告げると、真っすぐに宗好上人のところへ走った。
宗好、宗信ご両所の前に出て首尾を報告し、そして坂本家の季孝少年のことを告げた。
思いがけない報告を聞いた宗好は、黙って立って、そのままご本尊の前に座る。
そして一昼夜の行に入った。
終えて出てきた宗好の目は真っ赤だった。
彼は宗信と、佐助を前に置いて言う。
「私たちが計った事は必ずや、良い結果を齎しましょう、私達のした事はみ仏の意に叶ったのだと思います」
年が代わって、朱雀からの報告が望月の郷に届く。
“琴路様無事に男子御出産”
佐助はその報を携えて、すぐ此の作戦の一味徒党、即ち高野山、九度山と京の寺子屋に走った。
朱雀からの報告はもうひとつの事も伝えていた。
”坂本季孝、大谷琴路様御婚姻、若様のご両親として坂本の家を御相続”
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# by annra | 2005-08-09 02:00 | 外伝巻之参 血・繋ぐ(完)