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妖刀伝・外伝を7月1日より新規連載します  室町末期から徳川初期に到る時空列を縦糸、武将と小姓の個の愛と誠が横糸の叙事詩、序上中下巻よりなり、因縁話の基層である序章はポルノ、バイオレンス的描写を含む


by annra
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        タイトル  妖刀伝・外伝

     巻之壱     34頁      原稿用紙 94枚
     巻之弐     13頁       々   36枚
     巻之参     35頁       々   94枚  
     巻之四     43頁       々   121枚 

妖刀伝・外伝  梗概、目次_c0006165_2061664.jpg


梗概

これは妖刀伝(序章、上中下巻)の文字通り外伝で、補遺的な様相を持つ物語です。
各巻それぞれに絡み合いながら、独立した話題が径時変化に従って流れますが、前提としての”吉の因縁”及び登場主要人物のキャラクターについて、妖刀伝本編を下敷きにして居ります。
それゆえ全く始めてお読みの方は、妖刀伝本編序章から御読み頂く方がよいのかもしれません.
但し、外伝各巻ともそれぞれに面白くは仕上がったように思いますので、あまりこだわらないでお読み下さっても構わないかと存じます。
どうぞ御気楽にエンジョイなさってください。
なお、続編として明治維新を想定して、その伏線が仕掛けてはありますが、作者としましては、明治維新は口切りの序章に扱って、一大スペースオペラに次作を発展させる構想を抱いて居ります。
実現は何時の事やらわかりませんが、そう言う事でこんなふうになっているのか、と思われであろう部分が、後の方にはございます。

巻之壱:織田信澄
ちょうど本編の出だしと同じ時空に織田信長の父信秀が登場して始まり、信長の弟信行の忘れ形見、織田信澄の一代記の形として進みます。
本編には無い幾つかの話題や登場人物によって同じ時空間を動いて行き、最後は本能寺の変に絡んだ結末で終わります。

巻之弐:豊臣の世
前の巻の後、豊臣の世から関ヶ原が終わるところ迄、本編とは別の視点からお話が進み、織田信澄の忘れ形見、津田昌澄〜織田信重の時代に入ります.
そして天海大僧正が主役の一人になってきます。

巻之参:血・繋ぐ
関ヶ原の戦いの後、浅香荘次郎の遺骨を納めに高野山へ向かった名越山三郎の行動は、本稿では阿弥陀寺に帰る迄を一行で済ませています。
実はその間にこのような物語が、挟まれて居たのです。
佐助、宗好上人、真田信繁等が絡み、更に服部半蔵も絡んで、大きく意外な方向へと展開して行く物語です。
彼らの企み、努力の結果、織田信長の血は土佐國才谷郷の坂本家へと伝わったのです。

巻之四:元和堰武
本編では殆ど全く触れていない、大坂冬の陣、夏の陣、及びその結果としての元和堰武〜徳川の平和〜へ向かう時空を扱います.
名越山三郎はすでに“時を越える”存在であり、吉祥寺九郎右衛門として登場します。そして、
次の、更にその次の文明に向かって流れる時空の働きについて、もう一人の”時を越えるもの”、更により大きな存在である、天海大僧正と、”理外の理”を追求してある高みに到った望月白雲斎=才蔵との問答で、此の外伝は終わります。



目次

妖刀伝・外伝巻之壱 織田信澄

 一ノ一  京の都
 一ノ二  尾張の田舎
 一ノ三  ウツケの婿殿
 一ノ四  津田坊丸
 一ノ五  奉行職
 一ノ六  蛇石
 一ノ七  寿塔
 一ノ八  大馬揃え
 一ノ九  四国陣
 一ノ十  千貫櫓

 
妖刀伝・外伝巻之弐 豊臣の世 

 二ノ一  初参内
 二ノ二  風雲
 二ノ三  南光坊天海大僧正
 二ノ四  戦後処理


妖刀伝・外伝巻之参 血・繋ぐ

 三ノ一  落城
 三ノ二  宗好上人
 三ノ三  新弟子
 三ノ四  葛城小藤次
 三ノ五  敗走
 三ノ六  九度山の配所
 三ノ七  血
 三ノ八  掛け布団
 三ノ九  塩袋
 三ノ十  廃砦
 三ノ十一 重力の障壁
 三ノ十二 高知城


妖刀伝・外伝巻之四 元和堰武

 四ノ一  将軍宣下
 四ノ二  京の大仏殿
 四ノ三  二条城
 四ノ四  鐘銘事件
 四ノ五  冬の陣
 四ノ六  真田丸
 四ノ七  大陰謀
 四ノ八  たれ込み
 四ノ九  炎上
 四ノ十  変転
 四ノ十一 家康死す
 四ノ十二 元和堰武
 四ノ十三 インテルメッツオ

今回は“閑話休題”は無く、1日1タイトル宛、分割連載致します。
# by annra | 2005-08-12 17:30 | 【外伝の梗概・目次】


  妖刀伝・外伝巻之壱 織田信澄

一ノ一 京の都

「これが、都か」 
ぽつり、と、その武士が言った。
「話に聞くよりも、もっと酷いものにございますな」
従者が答える。
「・・」
主の武士は暗い表情のまま、黙ってうなずく。
此の場に立っては全くの処、その反応以外の何ものも期待出来そうに無い。

大路小路が縦横に組合わさって連なっては居る。
だがその街を構成する筈の家々は、すべて焼け落ちて灰になって居た。
尾張の田舎から出てきてようやく京に辿り着いて、逢坂の関の跡をこえて東山を越え、名残の桜の花吹雪が散り敷く中を、三条の粟田口あたり迄降りてきたところで、出くわしたのが、この光景だった。

彼ら主従が歩いている道は、真っすぐに繋がってはいるものの、その境目は曖昧だった。
左右も、見渡せる限りの彼方迄も、焼け崩れた家の残骸が累々と折り重なって、道の端迄はみ出している。
歩いている者もまばらで、
「これが花の都の姿か・・」 
と、その武士はふたたび嘆息した。

押し黙った主従はそのまま焼け跡の中を歩を進め、小半刻も行ったかと思う辺りで、ようやく前方に何軒かの家が見えてきた。
更に進むと、それは次第に数を増してくる。
「あれが西の陣の辺りではございませぬか」
「そのようじゃ」
新建ちの家が立ち並ぶ辻迄来ると、あちこちから機織りの音が聞こえて来る。
「輪違屋は何処かな」
「探して参りまする」

人に尋ねると、その店はすぐに判った。
大きな辻の角店だった。
前には綺麗な小川が流れている。
これは輪違屋草兵衛と言って、京でも老舗の呉服の店である。
門口に立って訪なうと、中年の恰幅のいい主人が飛び出してきた。
「遠路、ようこそ、おこしやす」
「信秀じゃ、造作になるぞ」
答えたこの武士は、名を織田弾正忠信秀と言う、
尾張半国の実質支配者で、近頃少しは名の知れ始めた戦国武将であった。

奥の座敷に上がってくつろいだ信秀に、茶が出された。
もう尾張でも珍しくはないが、未だ何処ででも出るものではない。
綺麗な娘がはこんでくる。
楚々とした様子が如何にも都ぶりで、着ているものは商売柄あか抜けしていて美しい。
客の前に出るので着飾ったのか、と思うが、そうでもなさそうだ。
鶸色の地に萌葱と紅藤色の雲がかかって、御所車の輪が見え隠れするその小袖は、普通よりはすこし袖が長く、かつ絹織物ではなかった。
それは木綿と言って、近頃一般化した布地、綿花の栽培で此の店と尾張は繋がっている。
「娘御かな」
「下の娘にございます」
「美しいのう」
茶を喫しながら信秀は言う。
「熱田神宮の件では、いかい世話になった」
「トンでもございまへん、私どもこそ」
「儲かったかな」
ニヤッと笑う。
尾張下四郡は熱田神宮に市と港を抱え、商取引が盛んだった。
その経済力が信秀の軍事力の源泉だったが、輪違屋も都の呉服商として、そのおこぼれに預かって居るのである。
信秀が上京したのは、訴訟の為だった。
と言うより訴訟まがいのことに勝った御礼であった。
幕府の権威がきちんとしていた頃なら、もともと守護代の家老である信秀が、都まで来ることは無い。
下克上で諸制度が乱れた今、地方で横領した諸権利権威を追認させる為にこの手を使う。
港の支配権を公認させる為に昔荘園領主だった近衛家の権威を利用したのだが、これとて近衛の当主様は与り知らぬところで、信秀と先方の家令との合作だった。
そしてこれを柳営に持ち込んで書類にする。
もちろんこれも将軍家に会う訳ではない。
出てきた男は御側用人格で、朽木なにがしと言ったが、要は持ってきた金銀との引き換えに公方の黒印状を作ってくれるのである。
未だ四方は敵ばかりの彼だから、そう長居は出来ない。
だが出てきた以上、短い間に出来るだけ遊山をしたい。
そんなことでも地元の実力者であり、取引先である輪違屋を利用していた。

さりながら、このところの戦乱で、由緒の神社仏閣も焼けたり破損したりして、見るべきものは随分と減っていた。
それでも尾張の田舎者には、目を見張るものばかりだった。
輪違屋は将軍家御用達だから、金閣、銀閣ともに御庭先から拝見出来たし、相国寺の塔の高さには肝をつぶした。
その日は上下の賀茂社に参る予定だったが、
「朝のうちにちょっとお祀りをしたいことがございますので」
と言うのに、ついていく。
相国寺の北側に深い大きな森があった。
巨大な木々が生い茂るその杜は、人の手が入るのを拒む神の聖域である。
「相変わらずの焼け跡ですわ、」
草兵衛が言う通り、大きな神社の燃え落ちた跡がある。
「応仁の乱の時はここが最初の合戦場でして、お社の方はこの間の戦で丸焼け」
「何と申すお社なのか」
「上の御霊はん、お祀りしてあるのは、崇道天皇はんの御霊でございます」
何人かの人が待っていた。
神官風のも居るし、武家商人、工人も居る。
暫く待っていると、だんだん人が集まってきて、大きな固まりになった。
「これはようこそのお参り」
草兵衛は如才なく挨拶する。
中の一人、お伴の武士を連れた少年は、相応の身分のようだった。
「細川はんの御曹司、お父上のご代参ですわ」
と、草兵衛は囁いた。
焼け跡の中央に、ま新しいお社が置いてある。
人が抱えて持てるくらいの小さなものだが、
「余り恐れ多いんで、こんなんですが、仮に私がお祀りさせてもらいますのや」

そしてそんな毎日の中でちょっとした事件が起こる。
輪違屋には娘が居た。
上は結婚していたが、下は未だだった。
着いた日に茶を運んだ子だった。
信秀は手を出した。
それらしく口説く等と言う芸が、この男に出来る訳は無い。
美女と野獣だったが、娘は素直に従った。
脂ぎった初老の男にはもったいない話だが、主人は見て見ぬ振りをしている。
もしお胤を頂いたら、それは尾張に居る大勢のお子達の兄弟姉妹になる。
女子を政略に使うのは、武家ばかりではなかった。
# by annra | 2005-08-11 10:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ二  尾張の田舎

馬が駈けっていた。
汗を飛ばして駆ける様はまさに悍馬、と言ってよかったが、またがっている男は輪をかけた悍馬だった。
裾の切れた小袖の着流し、袖をまくって襷がけ、その襷は女物の帯のようだったが、自身の腰の帯は荒縄だ。
尾張下四郡を支配する織田信秀の跡取り、信長である。
すっ飛ばして行く先の街道に一つの行列が見えてきた。
荒馬に気がついた護衛の兵が、槍先を揃えてこちらを向いた。
「まてーっ、その行列待てエーっ」
かまわず突っ込んでくる信長の剣幕に恐れをなした兵達がひるむ。
「どうっ。ド、どうー、 竹千代ッ、出てこいっ」
護送の駕篭のなかから小柄な少年が顔を出した。
「こいつ、此の俺に黙って行くのかあ」

少年は今川義元の配下、三河の松平氏の御曹司、人質として今川へ出向く旅の途中、信長の父信秀が奪ってきたもので、信長は敵味方の感情抜きに、八つ歳下の弟としてかわいがってきた。
其れが今、今川へ差し戻される。
理由は人質交換。
信長の異母兄信広は三河の安祥城に居たが、今川に敗れて捕虜となる。
其れの交換に今川方へ戻されて行く。

竹千代は駕篭を降りた、小さな膝をついた。
彼はいま八歳である。
「お別れでございます」
戦国の世、一時は慣れ染めても、こう言った時は往々にして一期の別れとなる。
「今度会えるのは、いくさ場でかもしれんな」
「はい」
「成ろうことならば、同じ旗の本に集いたいものよ」
其れだけ言って、信長は馬首を巡らせた、
「さらばッ」
悍馬は駆け去った。

織田信秀は子沢山だった。
此の時勢に子が多いことは力だった。
男はそのまま武力に、女子は他家へ嫁いで連携の絆となった。
そして己の力と才覚だけを頼りにのし上がって行く戦国武将が、自身の肉欲を抑圧するようなことは凡そ無い。

ただ欲望を基盤とした交情にも愛は生まれるが、此の時代、純粋の愛はむしろ男色にあった。
無限の可能性を秘めた未来を持つ美しい少年がその対象だった。
其れは生殖活動とは無縁な、まして人の世の諸々のしがらみとは無縁な、一個の人間同士としてかわした愛情だった。
彼の武田信玄が、小姓の春日源助に宛てた起請文が残っている。
一豪農のせがれに過ぎない源助に対して一国の主武田信玄が、諏訪明神から弓矢八幡大菩薩まで神々を総動員して誓っているのは、浮気をしたと言うのは誤解だ、今後も決してしないから機嫌を直して出てきてくれ、と言うことにつきている。
そしてその源助の後の名は高坂弾正、不敗の名将と謳われて、前に布陣したのが弾正と知った敵は戦わずして引くのが常であった、と迄謳われた武田の柱石に成人する。

ところで織田の跡取りである信長は三男だった。
次男だと言う説もある。
あちこちで種を撒いて歩いた親父に取って、厳密に其れが何番目かは判定に困ることもあっただろう。
兎に角、正妻の土田御前を母とする一番上が吉法師、信長だった。
長子相続は制度としては未だ無い。
ただ早く生まれた子は先に成人し、先ず親の助け、力になってくれる。
それだけのことであった。
一番上は信広だが、負けて捕まって竹千代と交換に命拾いをしている。
不肖の子でもそうして貰えたのは親の愛情か、はたまた松平竹千代の値打ちがそのくらいだったのかは判らない。
そして跡取りと定めた信長を那古屋の城に入れて元服させたが、此の日頃の行状は先きの如くである、
其の点同腹の直ぐ下の弟勘十郎は対照的な性格で素行も良く頭も悪くない、人の話に耳を傾け判断にもうなずけるものがある。
言ってみれば非の打ち所の無い少年で、従って重臣の林、柴田、佐久間等は勿論のこと、母親を含めて世間の期待はこちらに集まっている。
信秀の子育ては放任主義だった、
と言うよりも、子育てなんぞにかまっている暇はなかった。
尾張下四郡の実力者で、港と市を抱えて財政的基盤も豊かだったが、元はと言えば尾張の守護斯波氏の守護代織田大和守のまた家来と言う立場である。
運と実力でのし上がって、今やほぼ尾張を代表する勢力となっているが、凡そ家庭などと言うものには縁の薄い毎日だった。
ただ、此の抜け目ない男が、世間の評判最低の”おおうつけ者”吉法師に家督を任せたのには、何かがあったのだろう。
うつけの青春時代に到る前の齢のころに、親として何か他日に期するものを見届けていたのかもしれないし、此の時代に消滅せず更に大きくなるのには、常識的な秀才では間に合わないと言うことを、しっかり体得していたせいかもしれない。。
とにあれ、その惣領を最大限に利用する画策として、信秀の打った手は隣国美濃との婚姻だった。
美濃の蝮、斎藤道三はこれこそ下克上の成り上がりの典型、油売りから身を興し、守護代の家来として頭角を現して、飾りものの守護の名の下に主君を倒し、次に守護を追って、今や名実共に美濃一国の主である。
そして東の駿河、三河、遠江を押さえる今川義元と言えば、これは本来の守護大名が戦国大名に変身した、これこそ名実共に備わる強国であった。
その斎藤道三の愛娘帰蝶、親とよく似た此の才媛を、織田の跡継ぎの嫁にと請うたのは、勿論そう言う情勢をふまえての、攻守同盟の申し入れである。
双方の思惑は一致して帰蝶は那古屋に輿入れし、めでたく婚礼は上げられたが、そのあと突然の不幸が織田家を襲った。
当主信秀が急死した。
そして此の葬儀の際に喪主である信長が、遅参したばかりか、例の異相で現れて髪を振り乱しつつ位牌を睨みつけ、抹香を叩き付けて去ったことはあまりにも有名である。
対して勘十郎信行は身なりを整え作法に叶った振る舞いを見せ、恐らくは勘十郎本人を含めた多くの者が信長を見限ったことだろう。
父がつけた守役の老臣平手政秀の諫死によって、信長の行状が改まった、ともいわれるが、これは定かではない。
ただ、姑の斎藤道三は此の変事に際しても態度を変えず、むしろ信長の後ろ盾である、と言う姿勢を示して尾張の諸勢力を牽制する。
彼にしてみれば手強い相手の信秀が去って、”大ウツケ”の婿が当主の座についたとは願っても無いこと、尾張を料理して飲み込むには、先ず此の新領主を手の内に置くことから始めようとしたのだろう。
彼は婿の顔を見たい、と言って尾張に申し入れ、国境の正徳寺で会うことを提案する。
その当日の朝、道三は姿を変え、道筋のとある民家に潜んで信長を待った。
有名な大ウツケの生の姿を此の目で確かめる為である。
# by annra | 2005-08-11 09:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)

 一ノ三 ウツケの婿殿

やがて彼方に砂塵が舞って、軍勢が進んでくる様が見える。
道三は障子の穴から覗いて見た。
最初は弓隊だった。ゾロゾロとやってくる。
次は槍、人数は多いがこれもだらしない。
ただ持っている槍は変わっていた。
赤柄の其れは恐ろしく長かった、三間柄と称される長槍で揃えている。
本陣が近づいた、彼は目を見はった、鉄砲だった。
近頃上方の方から入り始めた、南蛮渡りのあの新兵器を担いでいる。

そして馬上の大将の姿を確認した彼は息をのんだ。
始めて見る婿殿の姿は話の域を超えていた。
尻端折りした着流しで、素晴らしい馬に斜め乗りをして居るその若者は、顔立ちは端麗そのものながら髪は赤茶けてぼうぼうに伸び、まるでそぐわない見事な太刀を左手に握って肩に担いでいる。 腰の荒縄に結わえた瓢箪をとって何か飲んでいる。
見送ったさすがの道三もため息をついた。
娘の婿は優れた男がいい、隣国の主は馬鹿がいい。
どちらの尺度から言っても外れている。

裏道をとって寺に戻り、正規の会見の時を待つ。
本堂に先に入って上座に座り、婿殿を迎えた。
斉藤家の臣が案内に立って導いてくる。
織田家の刀持ち小姓が従ってくる。
道三は目で探した。
肝心の主役が居ない、何処だ。
一瞬の後、道三は再び仰天して息をのむことになる。
上背のある、白析の青年が目の前に居る。
髪を整え、烏帽子狩衣の正装に身を正し、前に座って恭しく礼儀する。
「始めて御意を得ます。 義父上、織田弾正忠信長にございまする」

婿姑の会見が終わり、宴を共にして信長は去った。
道三の前をいく隊列は、これも今朝見たものとは別物だった。
三間柄の長槍は整列して天空に煌めいていた。
そして鉄砲は一丁二丁ではない。
其れは集合して、鉄砲隊と言ってもいいものとなって、行進していた。

この時を境に大ウツケの信長は居なくなった。
だが尾張の国内は静かではなかった。
信秀は下四郡の出身だから同じ織田を名乗っても、上四郡の織田とは必ずしもよい関係ではない。
そのうえ信秀の兄弟、即ち叔父も大勢居るし、自分自身の兄弟も多い。
そしてそれらが皆一城を預けられて居て親疎、利害が錯綜する。
最大の問題は血を分けた弟、末森城の勘十郎信行だった。
彼は馬鹿でも野心家でもない、品行方正な秀才だったから、もし泰平の世に生まれれば、名君として名を残しただろう。
だがその分常識人で、兄のような時代を超越した天才ではなかった。
そして彼自身が見抜けなかった兄の天分を、多くの家臣も見落としていた。
大ウツケの印象は尾を引いて、母親迄がそう思い込み、弟側に立っている。
信秀から信行に付けられた家老の柴田勝家や佐久間信盛は当然として、信長付きの林秀貞等迄が信行に肩入れをする。
均衡が保たれていたのは、姑の斎藤道三の存在があったからである。
その道三が死んだ。
息子の義龍に攻められて殺されたのである。
義龍の生母は美濃の守護土岐頼芸の側室で、家臣の西村勘九郎に与えられて妻となった。
勘九郎は美濃の実権を握っていた守護代長井氏を謀殺し、長井家を横領して長井新九郎と称し、次にもう一人の守護代斉藤家の名跡を継いで斉藤を名乗り、更には土岐頼芸を襲って、尾張に追放して美濃の国主となった。
即ちこれが斎藤道三である。
一方嫡男の義龍は成人するに従い自分の出生に疑問を持ち、色々と調べて行くうちに実の父は土岐頼芸だ、と思い込むようになる。
周りには西村勘九郎、長井新九郎の被害者はいっぱい居たのだから、何を吹き込まれたか判ったものではない。
かくして長男の謀反にあった道三は、最期を遂げる。
彼の生涯は、彼らしくきちんと完結したともいえる。
信長は変事を聞いてすぐに出兵し、国境に到ったが、既にことが決していた。

此のことは尾張の内部に波紋をもたらした。
ある意味では世論に押されて信行が反旗を翻した。
彼はこのとき達成と名を変え、当主の名乗りである弾正忠を僭称していた。
達成と言うのも、本来の尾張下四郡守護代である織田達勝の諱を受けて、正当性を主張しようとするものであったのだろう。
そして林秀貞、弟の美作、柴田勝家等とともに、稲生の野で信長軍と対戦する。
数では達成軍が勝っていたと言うが、信長自らの奮戦もあって一敗地に塗れ、母と柴田勝家とともに清洲城の信長の本へ赴いて降伏する。
信長は此の降伏を入れて許したが、此の戦の信長勢の中に森可成の名が見え、また信長の指揮と戦いぶりに目が覚めた柴田勝家は、これ以来忠実な家臣となっている。
そしてこれで終わればすべてよいのだが、歳が明けた弘治三年、今度は上四郡の守護代織田信安にそそのかされて、信行はまた謀反を企てた。
こんども柴田勝家等の宿老を頼ったのだが、前とは状況が違っていた。
勝家の通報により其れを知った信長は大いに迷ったが、結局重病と偽って清洲へ誘い出し、河尻秀隆に命じて誅殺する、と言う悲劇にいたる。
本来最も信頼すべき直ぐ下の、しかも唯一母を同じくする弟を手にかけざるを得なかった信長の苦衷は察するに余りあり、更に二度も謀反を企てたとはいえ、周囲の多くの人望を集めていた此の俊秀を失ったことは、織田家にとってどれだけの損失であったかは、計り知れないことだった。
そしてそのことは、此のあと二代三代に渡って起こる悲劇、およびその当事者である信行の子孫達に対する世間の評価の高さによって証明されることになる。

信行始末の後、信長は勝家を呼んで命じた。
勝家は既に深く信長に心服している。
「信行の子を探し出せ、付け家老であったそちの手に預ける故手厚く養育せよ。 そして然るべき年齢に達したれば余の手元に置いて訓育する」

「そうして、何者にも引けを取らぬ武将に育ててみせるのだ」

十年あまり経った。
信長の身辺は一変していた。
あれから三年後に起こった、東の隣国今川義元の上洛戦がすべてを別けた。
 京へ上って天下に号令する。
戦国武将の夢を叶えるに十分な力を蓄えて、義元は行動を起こした。
隣に居る織田などは問題ではない。
鎧袖一触、と言う言葉通りにして尾張は通過する。
すべての人間がそう思っていた。
信長自身はどうだったのか。
彼にとって、思うとか思わないの問題ではない。
自分自身の生存の問題である。
生きるか死ぬか、尾張の織田として残れるかどうか、の問題だった。
彼は賭けた。 そして勝った。
其れは単なる一勝ではなかった。
尾張の織田は天下の織田、少なくとも東海の織田になり、今川の支配が崩壊した三河では松平元康が本領を回復した。
あの時の竹千代である。
そして隣国美濃を併呑して岐阜城に移り、流浪する前将軍の弟を次期将軍家として迎えた時、彼自身が京の都へ、天下取りへと進発したのだった。

だが、京へ入れば、同時に其れは同じ志を持つ戦国の雄すべてを敵に回すことになる。
信長はさっそくに全国の大名に宛てて回状を発した。
新将軍足利義昭の名を以てしてである。
いわく、京へ伺候して新しき秩序に従うべし、と。
勿論受け取った諸候の全員が無視した。
幕命不服従の罪を鳴らして、手近の朝倉から攻撃することになる。
# by annra | 2005-08-11 08:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)
 
一ノ四 津田坊丸

元亀元年の春、信長は京を発して西近江路を北上した。
今や信長の唯一無二の同盟国である、嘗ての松平竹千代、今は三河の国主、徳川家康の軍が同行している。
高島郡迄至って野営した。
陣中、篝火がはじけるなか、本営の諸将一同で夕食をとり、小宴となる。
馬廻りの堀久太郎が信長の杯を満たし、諸将を廻る。
「可隆にも注いでやれ」
「はい」
「そちと可隆は同年であろう」
森可隆、信長の重臣、森可成の嫡男である。
可成の後ろに控えていたのが、引っ張り出された。
「初陣の杯じゃ、たっぷりと注いでやれ」
こう言ったとき信長は機嫌良く酒を飲むが、量は僅か、一応部下につきあっているだけだ。
酒に関してだけは、彼は人に遅れをとるのである。
そのなかへ、取り次ぎがあった。
「柴田勝家様、おいででございます」
「待っておったぞ、これへ」
萬見仙千代が導いてきた勝家は、一人の少年を伴っていた。
緋縅の晴れやかな当世具足姿、金色の宛て金をした鉢巻きに、はらりと漆黒の前髪がまとわりついて、案内の仙千代にも劣らぬ美少年だった。
「よう参った、これも初陣じゃ」
「どなたでござるか」と、可成。
「津田の坊丸よ」 。
「はぁ、」  津田と言うのは織田一族の傍系が名乗る姓である。 
「そうか、そちにもお坊と申す子が居ったな」 と、信長は言った。
「これはナ、わしの子じゃ」
「え、えっ」
勝家が割って入った。
「御舎弟信行様おん忘れ形見、某しが元で、かく成人なされてございます」
「みな明日の織田家の柱石じゃ、はげめよ」 信長の声は弾んでいた。
「勝家、礼を申すぞ、これで稲生は帳消しになった」

次の日、進発した織田軍はそのまま北上して越前に向かわず、左に曲がって山のなかへ入って行った。
軍兵は不審がったが、指揮官達は知っていた。
「このたびの出陣、浅井様には申し上げずでござる」
勝家は言った。
坊丸はそのまま勝家と行動を共にしていた。
「なに故にでしょう」
「浅井長政様はお市の方様の婿、あなた様にとっては義理の叔父上でござるが、浅井家は昔より朝倉家に義理がござってな」
「お声をかけずに朝倉征伐をするが良かるベし、とのお心遣いにござる」
「其れで若狭路を経由するのですね」
「ご明察の通りで御座る」
勝家は信澄が地理にも明るいのに舌を巻いた。

途中の朽木村で土豪の朽木元綱の出迎えを受け、若狭湾に出た信長は東に向きを変えて敦賀に向かう。
第一の目標は、越前若狭間の天険を背にし、南と西からの街道が集まる喉頸を押さえる手筒山城とその支城金ヶ崎である。
手筒山は山城ではない。だが断崖に囲まれた天険だった。
そして信長自ら周辺を偵察した結果、正面から力攻めする、と決まった。
丸一日の戦いは熾烈であった。
織田軍は何度も押し返される。
そしてついに城内に突入したのだが、犠牲は大きかった。
そのなかには森可隆も含まれていた。
いつ死ぬか判らぬのは戦場の習いとは言え、十九歳の初陣で命を失ったのである。
そして金ヶ崎も落として、一乗谷を隔てる木の芽峠へと軍を進めかけた次の日、信長生涯最大の危機は襲った。
浅井長政、朝倉に呼応して出兵、の報である。
信長は信じなかった。
だが、次々入る報告は其れが真実であることを告げている。
北近江を押さえる浅井が向こうにつけば、尾張へは勿論、都への退路も無い。
信じ難いことを信じざるを得なくなった時、信長の決断は早かった。
彼の命令は “各個に逃げろ”だった。
自己責任で命を全うして都迄退け、というものである。
ぐずぐずしていることが、この場合最大の敵だった。
そして彼は、側に居た坊丸に「離れるなッ」と怒鳴ると。真っ先駆けて逃げた。
だがしかし必要最小限の手は打っている。
木下秀吉が呼ばれた。
小者から成り上がった昨日今日の将である。
ただ信長は彼を買っていた。
此の最大の危機にしんがりを託した。
此の務めを果たす能力はある、ただし生き残れる可能性は薄い。
もし此の試練を乗り越えられたら・・・、
其れは木下秀吉にも当然に判っている。

木下藤吉郎秀吉は金ヶ崎城に籠った。
諸将は逃げるに邪魔となる武器類をそこへ置いて行く。
装備は十分になった。
新兵器の鉄砲も数多そなわった。
そこへ一人の将が現れる。
「お手伝い致す」
此の死地に自ら乗り込んできた男の名は、明智十兵衛光秀と言う。

彼の立場も木下藤吉郎と同じ、将軍足利義昭の家来として尾張にきた彼は、才を認められて引き立てられてはいても、家中で頭角を顕すには何かに賭けることが必要なのである。

そして追撃に現れた朝倉勢に向かい、木下、明智勢は発砲して敵を城に惹き付けた。
逃げる織田軍本隊の時間を稼ぐのだけが目的である。
敵の数はどんどん増える。
それらに休まず銃弾を浴びせる。
この城に釘付けにする兵数の多い分、使命は果たせている。
そして彼らが脱出する機会は、無くなって行く。
木下も明智も覚悟はできている。
しかし戦国に生きる者として、同じくらいの打算も働いている。
“こりゃ、いかん。本当にここが最期の場か” 二人が腹をくくった時、
その朝倉勢の後ろから思いがけない軍勢が現れた。
「アッ、あれは」
「葵の旗指物、徳川様かっ」
三河の徳川家康。織田信長の唯一の同盟者が自ら救援してくれたのであった。

朝倉の背後から突っかけてきた徳川勢に呼応して木下明智は突撃した。
混乱する敵を尻目に逃げに逃げる。
そして若狭との国境辺りでついに追撃を振り切った、もう追っては来ない。
峠の民家に入って、一息ついて怒鳴る。
「酒だ、酒は無いか」
飲むのではない、傷の手当である。
住民が逃げた後の庄屋屋敷に陣取った三将は顔を見あわせた。
皆手傷を負っている、秀吉は肩に、家康と光秀は左の肘に、酒を掛けて消毒する。
「うぅっ、こっちの方が応えるわ」
「まぁ、此の傷三つで織田の天下が守れるなら、安いものよ」
「はは、天下傷じゃ」
三人はお互いの傷を見せあって笑った。
光秀は家康に向かって言った。
「傷口の形が良く似ておりますな」
「まこと、瓜二つじゃな」
# by annra | 2005-08-11 07:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)