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妖刀伝・外伝を7月1日より新規連載します  室町末期から徳川初期に到る時空列を縦糸、武将と小姓の個の愛と誠が横糸の叙事詩、序上中下巻よりなり、因縁話の基層である序章はポルノ、バイオレンス的描写を含む


by annra
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妖刀伝・外伝  巻之壱  織田信澄  一ノ七


 一ノ七 寿塔

戻りの船中で、高虎は坊丸に問うた。
「他の者も同罪では御座るが、なかんずくあの最初に見つけた家の村長は如何処分なされます」
「みな罪は問いますまい」と、坊丸は言う。
「だが、隠したものを領主に見つけられた、という負い目を持って村では生きていけまい。そして私たちが領地替えになって動くようには、あの者達は動けない」
「どうなされます」
「隠している物を皆吐き出させた上は、残るのはあの大石を見いだし提供した功だけです、あの村長が村八分にならぬように、確と皆の者に言い含めた上で、労を惜しまず奉公をさせ、その上で三つの村全体に過分の褒賞を与えてください」」

蛇石を動かす目処を付けて安土に帰った坊丸が、超多忙な杢兵衛を捉まえた最初の最初、口をきいた段階では信長の甥と言う立場を利用したが、話を始めるとすぐに此の男を引っ張り込めた。
杢兵衛は言った。
「叔父上様と同じでござるな、これは天才の発想と申すものでござる」
彼はその案にのめり込んでくれた。そして
「その次がございますな、それにも絡ませましょうぞ」
彼は腰の矢立てを抜いた。
懐紙にすらすらと書き始めた。坊丸が覗き込む。
「これがご発案の四艘舟でござる。その蛇石とやらを陸揚げした後は、そのままお屋敷の一部と致しましょうぞ」 坊丸は首を傾げた。
「仰る意味が解せませぬが」
「貴方様は先ほどお屋敷地拝領に当たって湖岸を望んだと申された。対岸の御領地とすぐに船で結ぶ為でござる。ならばお屋敷ごと動かれては如何」
「お屋敷地を掘り下げ、四艘舟がそのままきっちりと入り込むように致します」
「蛇石の代わりに家屋敷を載せるのですね」
「その通り」杢兵衛は坊丸の反応に満足したようだった。
「ただし、実現するのは次でございますな、未だ用意が揃わぬし、何より手が回りかねまする」
其れは坊丸も一緒だった。

始めは筏と言う考えだったが、筏ではそれ自体を着底させるだけの石が載せられない。
積み上げても転げ落ちてしまうのである。
それで船に切り替えた。
船なら舷側があるから石を山積みにして沈められる。
舷がやたらに高い特製の大船四隻の底を、筏状の台で繋いだ台船を作った。
筏部分が琵琶湖の底へついた状態でも舷側は水の上に出ている、筏に巨石を載せてから船いっぱいに積んだ石を取り除く。
坊丸は領地に使いを走らせて、その蛇石と言う巨石を運ぶよう命じた。
そうして首尾よく運び込んだ迄はよかったが、その後がいけなかった。
青緑色にひかる巨大な蛇石は、陸揚げしただけで人目を引いた。
信長は見て、大いに気に入ってくれて、お坊は面目を施したが、
「これは此の城第一の巨石ぞ、天主迄揚げい」
麓迄は来た。だが斜面が上らない。目的地は山頂である。
さすがの彼も音をあげて、加勢を要請した。
結局羽柴、滝川、丹羽の勢が加わってその数延べ一万人、昼夜を分たず引き上げて、仕舞いには信長自身が出て音頭をとる騒ぎにまでなった。

三日目の朝日がのぼった。
石は総見寺と天主台との鞍部迄曵き上げられていた。
巨石の上に座り込んで、お乱に汗を拭わせている信長に杢兵衛が質問する。
「ところで何処へ据えられますのか」
「天主じゃよ、決まっておるではないか」
「天主の何処でござる」
「真ん中」
「真ん中には要り申さず、吹き抜けでござる」
「判り切っておる」
「ならば」
何時ものように少し険悪になる。
だが、森乱丸始め、周りは心配しては居ない。
ほとんど怒鳴り合い迄行って、まるくおさまるのである。
だが、今日はちょっと違っていた。
「近う寄れ」信長は言った。それから周りを見回して
「お乱とお坊、信澄の方じゃ、ここに居れ、他の者は外せ」
「余は此の石が気に入った。吹き抜きの真ん中に多宝塔を建てる」
「存知居ります、よきお考えと申し上げましたが、これを礎石にでもなさいますのか」
「うん」
「些か大きすぎて様になりませぬが」
「杢兵衛ともあろうものが陳腐な意見じゃ」
「はあ」
「見えずとも良い、深く埋めよ」 今日は杢兵衛が押され気味だった。
「お考え、読めませぬ」
信長は機嫌が良かった。
「もそっと、これへ。乱、坊もじゃ」
「なんの為の多宝塔か、杢兵衛には判っておろう」
「判りませぬ、殿のご酔狂でござる」
「知っておってそのように言う。よいよい、なんで多宝塔を建てるのか、わかっておるか、え、乱」
乱丸は美しい顔に知恵深い表情を浮かべながら答える。
「わかりませぬ」
「寿塔じゃよ」
「願わくば、私もお供を」お乱の澄んだ答えが間髪を入れずに帰ってきた。
「うむ」
「巨石を深く埋め、その上に上様永世の御座所を設ける。趣意、杢兵衛確と承りて御座いまする」
「頼むぞ」
あの不思議な奇想の空間、安土城天主閣中央大吹き抜けの底部に置かれた黒漆塗りの多宝塔、それは信長の寿塔、即ち本人が生前に設ける塔婆であった。
その真の存在理由を知るのは、今ここに居る森乱丸。織田信澄、安南杢兵衛の三名のみであり、信長自身の死後に関する心の内をあかした、腹心中の腹心と言えるだろう。
そしてあの巨大な蛇石が何処に消えたのか、と言う記憶も、彼らと同時に永遠に失われてしまうのであった。

天正六年、信澄は失踪した磯野員昌の跡を襲って大溝城主に任じられた。
安土と向き合って琵琶湖を東西から押さえる要衝である。
そして入城した信澄によって湖との取り合いに新工夫がこらされる。
安土城西北湖岸に完成していた彼の屋敷は一風変わっていた。
見たところは普通の屋敷だが、周囲に手摺のある縁が廻り、それに添って溝があった。
中に居て風の強い日などは少し揺れたが、それは此の屋敷が蛇石を運んだ四艘連結船の上に設けられていて、そのまま琵琶湖へ乗り出せるからで、大溝城の湖岸には、此の船〜屋敷がすっぽり納まる同じ形の船渠が設けられたのである。
信澄はこの城を基地とし、一城の主として軍を率いて転戦したが、やはり信長直属の遊撃部隊というのが、その主要な位置付けだった。
織田の家中で彼の出生の由来を知らぬ者は居ないが、それとは別にその円満誠実な人格、優れた識見と行動力は周りの者すべてに認められて、若いながら織田陣営にその人有りと知られるような存在になっていく。
二年後の天正八年、かねての懸案の大坂石山本願寺の一件が決着した。
森妙向尼と乱丸達の隠れた功績である。
信澄は馬廻りの矢部家定とともに、顕如が去った後の本願寺受け取り検使として大坂表迄出向し、そのまま石山駐屯部隊として大坂城守備の任務につく。
by annra | 2005-08-11 04:00 | 外伝巻之壱 織田信澄(完)